秋が来て、過ごしやすくなったと喜んでいたら思わぬ寒さにビックリ
して風邪引いたりしています。みなさん、お元気でおすごしですか? 冬支度をそろそろ始める時期になりました。コタツを出したり、スト ーブを出して磨いたり。炭や薪の時代は、どんな冬支度をしてたのか と思いをめぐらせてみましたが、実感のある風景は浮かんできません ので、私の思い出を書きます。 私の育った家のお風呂は、小学生になる頃まで石炭釜で、勝手口の土間 から釜の焚口に石炭をくべてお風呂を沸かしました。十能で釜に入れた こと、焚口から漏れるあったかい光の色だけ、なぜだか思い出します。 誰がどうやって家まで石炭を運んでいたとか、湯加減をどうやってみて いたかとか、大事なところはまったく記憶のかなたです。なぜか一人で 土間でうずくまっている光景だけが浮かんできました。 冬の寒い日に学校から家に帰ると、母親がコタツをあったかくしておや つを食べさせてくれました。あのコタツの暖かさを昨日のように思い出 すことができます。 さて、昔を思い出していると涙が出てくるので、立冬の話題を。 立冬(りっとう)は二十四節気の1つ。11月7日ごろ。および、この日から 小雪までの期間。太陽黄経が225度のときで、初めて冬の気配が現われて くる日。十月節。『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれ ば也」と説明している。 だそうです。温暖化とか世間では言われてますが、私たちの冬は今年も忘 れずに来ているようです。 kuma28が書きました。 #
by uneme_tayuu
| 2007-11-08 17:07
| 暮らし暦
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日曜の目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。
空気を吸うと喉が痛い。 あ、ヤバイ風邪?かも!? 時計をみると定刻よりもずっと早い。 爆睡の日曜だってあるのにこんな時間に目覚めるのは きっと寒さのせいだろう。 厚手のくまさんのソックスに手を伸ばし、箪笥からモヘアのガウンを取りだした。 階下へ降りても部屋全体の空気が冷たい。 お湯を沸かし、ペーパーを折り、豆を挽き、お湯をそそぐ。 その一連の動作のあいまに、無意識のうちに考えた。 “これがもし、高気密・高断熱、二十四時間換気の家だったなら?” 寒さで目覚めることもないかわりに 冷え込む朝の空気に深まる秋を感じることもなく ましてや珈琲の高き香りで、心とからだを温めることもないのだろうと。 * きょう「霜降」とは、まさしく霜が降りる頃。 このころから露が冷気により霜となって降り始めるのだと物の本は書いています。 朝夕の気温が下がり、嫌がおうにも寒冷を覚えます。 皆さんも風邪など召されませぬよう十分ご自愛くださいまし。 by かまど管理人 #
by uneme_tayuu
| 2007-10-24 17:23
| 暮らし暦
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小学生低学年のころ、風邪をひいて寝ている私に、「なにか食べたい
ものある?」と母。 飴が舐めたい…と思った。 で、私は母に、あの飴をリクエストしたのだった。 「カンロ飴」。 因みに、あの「カンロ飴」は、醤油を使った、日本人の口に合う飴を 開発したものだそうで、寒露ではなく、むしろ「甘露」。 今日、24節気の「寒露」は、文字通り、寒い露の結ぶ時期。 魚の甘露煮で食べるご飯を連想してしまうようでは、まだまだですね。 秋本番、旧暦では間もなく9月に入ります。 記/メール番人=大工風 #
by uneme_tayuu
| 2007-10-11 10:20
| 暮らし暦
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昨日こそ 早苗とりしか いつのまに
稲葉そよぎて 秋風のふく よみ人しらず 今日は秋分、秋の彼岸の中日(まんなかの日)です。秋分の前後三日 が秋のお彼岸ということです。彼岸とは日本固有の仏教行事で、一般に は、お墓参りなどして、ご先祖に感謝をする期間であります。 うまくしたもので、田んぼのあぜに河原に彼岸花も咲き揃ってきまし た。あの赤い花はいかにも秋の気分をひきたててくれます。この彼岸花、 いくら眺めても茎と花しか見えず、「葉っぱはあるのだろうか?」とい らぬ心配をしていましたが調べたところ、花が終わったあとに葉がでて きて、次の年の夏には葉が枯れてしまうので、花と葉を同時にみること はできないそうです。彼岸花の葉、秋の終わりにさがしてみようと思い ます。 また、今日は太陽が真東から昇り、真西に沈む日でもあります。仏教 の行事と関係づいたのは、 彼岸(あちら側の岸)→西方浄土 という連想からでしょうか。 今日の日が沈む方向を見やると西方浄土が見えて・・ きたらヤバいです、はい。しかし、今よりももっと儚く吹けば飛ぶよう な命を生きていた昔の人々は今日の夕陽を格別な想いで眺めたのかもし れません。あちらにご先祖さまがいらっしゃる、というような・・・ この「西」に対する想いは、太陽以外のものにも連想が及んだようで 奥の細道にも次のような一文があります。 栗という文字は西の木と書きて、西方浄土に便りありと、 行基菩薩の一生杖にも柱にもこの木を用い給ふとかや。 何か一途なものを感じてしまい、このごろ栗の実があちらこちらに落 ちているのを、ただ「うまそうだ」と思っていた私など気恥ずかしくな ります。 この後、 世の人の見付けぬ花や軒の栗 という一句で、芭蕉さんは地味で目立たぬ栗の花と、心清い「世を厭う 僧」とを対比してみせるのですが、栗といえば一般には食べる実かせい ぜい材木ぐらいしか馴染みがありません。来年の春は「世の人の見付け ぬ花」のこともぜひ思い出してみて下さい。 ともあれ、「暑さ寒さも彼岸まで」とはよくいったもので、残暑の名 残もすっかり影をひそめ、かわって秋のすずしい風が心地よい頃になり ました。 読書の秋に食欲の秋・スポーツの秋、そんな枠には収まりきらない十 人十色の秋でしょうが、皆さんどうかつつがなくお過ごしください。 今回の担当は、 大工夫でした。 #
by uneme_tayuu
| 2007-09-23 08:38
| 暮らし暦
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行く夏と来る秋が入り交じる9月。
まだ暑さが残るものの、少しずつ風に秋を感じるようになりますね。 なかでも朝の空気は夏とは違って爽やか。 早起きした日は外に出て、「すーぅ、はーぁ」と大きく深呼吸すれば 身体の中から爽やかになれる気がします。 と、その足元。 しっとりと水を含んだ草が、サンダル履きの足先を濡らしています。 そうです、今日は二十四節気の「白露」。 この時期になると気温が下がって、大気中の水蒸気が草花に露として 下り始めるのです。 子どもの頃・・・この草葉についた、きらきらした水滴を眺めては 「この滴を集めて飲んだら、きっと甘いに違いない」と思い、 そっと草に口をつけてみたことがあります。 (果たして甘かっただろうか・・・?) ところで、露は普通は「下りる」ものですが、「露が上がってくる」 ことがあるそうです。 それは、田んぼの稲。 先日、新潟の農家のかたから聞いたのですが、 地面から伸びる稲が水を吸い上げ、きれいな水滴がすーっと葉を昇って いき、葉先で小さな水滴になるというのです。 緑の稲に透明な滴。 ゆっくり上昇する滴のエレベーター。 何とも美しい光景だと思いませんか? 季節のなかに、きらきらとひかる美しいものを見つけられる幸せ。 大袈裟なものでなく、そういうものを大事に暮らしていけたら・・・。 そして私は願います。 草葉におりる露や稲を上がる露が、決して酸性や埃まみれになることなく、 これからもずっと甘露で清らかなものでありますように、と。 今回の暦メールは yokoが担当しました。 #
by uneme_tayuu
| 2007-09-08 09:11
| 暮らし暦
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