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春分号 -今日は旧暦2月3日です-

かまどメール新装版、春分の日はkuma28がお届けします。

地球の軸がちょいと傾いているおかげで、季節が変化します。
この傾き加減がちょうど良く、日本では四季を楽しむことができます。

もし地軸が90度傾いていたら、悲惨なことになってましたですよ。
夏は、一日中太陽が沈まないし、冬はいつになっても朝が来ません。
蟻さんなんか、一日中働き続けて過労で倒れてしまいます。

地軸の傾きは、23.4度。誰が決めたか知りませんが、この傾き加減が
絶妙なんですね。ほんと不思議ですねぇ。

不思議と言えば、月は地球を回る間にちょうど一回だけ自転している
ので月の裏側を地上からは、見ることができません。少しだけずれて
いてくれれば、裏側も見ることができたのに残念ですね。でも、見えない
ものを見たいのが人間の心理、月の裏側を見たいという地球人類の
潜在意識が宇宙開発を推進したと言う事実、ほんとうに不思議です。

信頼すべき人からの又聞ですが、月の裏側には何が描かれているか、
昔アンケートをしたそうです。アメリカ人はイエス・キリストの似顔絵、ソ連
人は、カール・マルクスの似顔絵が書いてあるはずという意見が多かった
そうです。最初に月の裏側に行ったという人のうわさでは、本当は、サダ
ム・フセインに似た絵だったそうで、ソ連もアメリカもいまだにクレーターだらけ
の捏造写真しか発表できないでいます。不都合な真実、ここにもあったの
ですね。ゴア氏は副大統領のときに現物の写真を見ているはずなのに
なぜ本に書かないのでしょうか。

さて、本題。今日は二十四節季の「春分の日」。昼と夜が同じ時間になる日です。
かすかな春の気配を感じるだけの立春の日から数えて約45日。、もう春はすぐ
そこと感じる日。立春とか春分とかうまく名づけたものですね。

仏事では、春のお彼岸の日です。先祖が住む、向こう側の世界は、西方に
あると考えられていて、この日は太陽が真西に沈むのでそれを道しるべに
先祖の供養をしたら間違いがない、という有難い日です。

日本国民の祝日でもあり、、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」と「国民の
祝日に関する法律」で定められています。ちなみに秋分の日は、「祖先を
うやまい、無くなった人々をしのぶ」です。

また、種まきの時期でもあり、豊かな収穫を祈って春祭りに励む日であり
ます。

私としては、今年の春分の日は牡丹餅でもこさえて、月でも眺めながら、
不思議で素敵な物語を捏造してみようかな、なんて考えています。うまく
できたら今度のメール当番のときにそっと書いてみます。
         (筆/“kuma28”)
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■花見の詳細です■
みなさん是非ご参加ください。
大まかの人数把握のため、参加のかた、早めに連絡ください。
津市栄町の四天王幼稚園は、この3月で最後の卒園式。
なにかと、かまどの会と仲良くして頂いて嬉しい限りです。
寂しくもありますが、お寺が無くなってしまうわけではなく、
今後ともよろしくお願いします。
で、今年の二次会はどうなんでしょうね、倉島さん!?(笑)
そうそう、こんな記事が某C日新聞地元版にありましたので
こっそりUPしました!服部さんかっこいい!
http://gogatukikaku.web.fc2.com/0703hattori.htm

以下、四天王寺さんからの案内です!

<会費>
     大人2000円 *子供は無料
<企画>
今回も手打ちうどんに挑戦したいと思います。
うどんにのせる具・美味しい食べ方などアイデアありましたらご協力ください。
また、本堂にて音楽の夕べを開催、お酒と音に酔いしれましょう

<時間> 
     13時頃~集合
     14時からうどん打ち・調理開始
     15時お花見・宴会スタート
     18時本堂コンサート
     19時片付け解散
# by uneme_tayuu | 2007-03-21 17:35 | 暮らし暦 | Comments(0)

雛の日

「雛の日や けふ生まれしわれ 子供好き」

祖母が、生前に読んだ句だ。
子供が好きで、若かりし頃は東京で幼稚園の先生をしていたという。
そのころ身についた習慣は、田舎に戻ってからも抜けることなく
外出時には片肌脱いで襟化粧をし、顔に紅おしろい、髪はふっくら結い上げて
田舎仕事をしている人々をよそに颯爽と自転車で走り回っていたという。
その頃とてもモダンな人だったらしい
その印象と
子供好きな一面はなかなか繋がらなかったのだが
ぼんやりとわかったことが、昨日一つ。

”子供好きというよりは子供に好かれてしまうのだ。”

随分と昔、
弾かなくなったオルガンを持っていってあげたらたいそう喜んで
暇をみつけては弾いていた。
折り紙も好きだった。風船、クス玉、千羽鶴。
新聞の折込広告の色が織り込まれたそれらはとてもきれいで上手かった。
子供の好きなお菓子も大好きだった。
姉にチョコレートを与えすぎて「味噌っ歯になった」と母になじられたりもしていたが
意に介さず。
プリンや寒天の水菓子はいつも(自分のために?)常備されていた。
四季折々の行事を暮らしに取りいれ楽しむことも好きだった。
晩年は豊富な語彙を活かし、句作に勤しんだ。

子供は仲間を見つける天才だから
祖母は子供達に見つけられ、祖母もまた近づいてくる子供達を愛したのだろう。

頑固で、男勝りで、筋の通らないことは大嫌い。
そのくせ、無垢で、無邪気で、欲少なで
花鳥風月を愛でる心は、野の雑草にまで及ぶたおやかさ。
死ぬまでそんな心を持ち続けた。


お婆ちゃん子だった私は、昔からそっくり!と言われてきたが、
不思議と子供に好かれること以外
まだまだ至らないことが多く、
「雛の日」に改めて故人を偲び、我を想う。
# by uneme_tayuu | 2007-03-03 22:37 | | Comments(2)

ものを大切にする心

竈の会と称し、大勢の人間が集まることが
いいことばかりのはずはない。

たとえばこんなことだって起こりうる。
ものを大切にする心_f0044728_15501458.jpg
フードコーディネーターヨウコさんから預かった大切な羽釜に
ゆがんで開いた小さな穴。
誰かが、空焚きしてしまったのだ!
使い物にならなくなった羽釜は
私が気がついたときには既に竈の第一線から追いやられ
傷ついたからだで悲しそうに横たわっていた。

その姿をみて私が思い出したものは
「ふらいぱんじいさん」
どうかこのまま棄てられずに
この羽釜にも、また新たな活躍の場が見つかりますように。


そして、こちら勝手口の引き戸。
ものを大切にする心_f0044728_15503583.jpg
誰かが、錠が引っかかったまま無理やり開けようとしたのだ。
引きずられ、大きく破れた障子紙。

障子紙だからまた張り替えればすむ。
引き戸は、羽釜のように第二の人生を考えなくて済むとはいうものの
傷ついた姿はやっぱり哀れ。

ものを大事にする心
もう一度考え直したい今日この頃。
# by uneme_tayuu | 2007-02-19 16:03 | かまど雑記 | Comments(16)

小さな贈り物

小さな贈り物_f0044728_1527531.jpg

1月の竈の会のときのこと。
いつも遊びに来てくれるハルヤが私にハイと手渡してくれたもの。
"数珠玉"
それは、実は、私が常々探そうと思っていたものだった。

去年のあるお稽古の日、お花の師範も兼ねているお茶の先生が
「花展に使いたいんだけど、この頃どこを歩いていてもみつからないのよね。」
そう嘆いていたのを聞いてから。
忘れていた数珠玉の姿かたちを思い出しながら、
「竈の家の辺りにならまだあるかも知れない。探してみよう!」
秘かにそう思ったのだった。

私の心を読んでいたかのように、小さな両手のひらに散らばったいくつかの数珠玉。
思わず叫び声を上げた私をみて、どこで見つけたかを得意げに話す幼い笑顔。
この子の家の近くにはまだ多くの自然が残されているので
それほど珍しいものでもないらしく、
あんな、あんな、ウチの周りにいっぱいあるんやで!
嬉しそうに続けるその口調は、そんなに早く喋ったら咳き込むのではないかと
心配してしまうほど。

小さな顔いっぱいに広がる
とっておきの笑顔に出逢えるのも、かまどの家が私にくれた贈り物。
# by uneme_tayuu | 2007-02-12 15:40 | かまど雑記 | Comments(0)

ふたたび巡り会うまで

新春2日目の朝、通いなれた道を私は一人、車を走らせていた。
愛猫を乗せずにこの道を行くのはこれが初めてで、最後。

病院に着いて、看護婦さんが猫の存在を訊ねたが、黙ってつっ立っているだけで、すぐに状況は理解された。

玄関先で最期の報告をする最後の病院は、私のケアだった。


チョコは31日のお昼になくなりました。
独りで静かに。
前日の夜遅くまで年賀状を書いていたために寝過ごしてしまったんです。
朝、目覚めたときはすでに苦しんでいました。苦しみながらおが粉に紛れていました。
夜中もしんどいのか眠れずにじっと土間に蹲ったままだったので、抱きかかえホットカーペットに寝かせ櫛で毛を梳いてやりました。
何度も何度も梳くうちに少しずつ横になりだしたので、少しは楽になったのかと思いました。それからもまた何度も梳いてやりました。
そうしてそのまま寝入ってくれるものと思い私もいつしか休みました。
いつから苦しみだしたのかはわかりません。
抱かかえるのがよいのか、そのままにしておくのがよいのか。
見守ってあげるのがよいのか、そっと一人にしておいてあげるのがよいのか。
そんなことすらも分かりませんでした。
結果的に延命治療になってしまったこの治療を含め、
私には、結局のところ、どうすることが一番よかったのかなにも分かりませんでした。
・・・・・・・
次々と息つく間もなく懺悔を続ける私に先生は黙って頷くだけだった。
やがて一息つくと、静かにこう訊ねた。
「それで。お葬式はしたんですか?」

はい。私は一晩一緒に居たかったんですが、翌日がお正月ということで
家族に無理やり説得され、その日のうちに済ませました。
「そうですか・・。それでよかったと思いますよ。」

でも!人間の都合に合わせるように大晦日の日に亡くなるなんてあまりに可哀想で。
旅行に行くことも知っていたんです。知っていたから・・
旅行だってもう何度も止めようと思ったんです!!
私は深くこうべを垂れた。
「いえ・・、いいんですよ。」

職業柄、動物の死は日常茶飯事であろうのに、先生は真摯な態度で私の話を聞いてくれ、決して否定することはなかった。

通い始めたころは、猫の生態のことも病気のことも、何も知らない私にただ驚き呆れていた。一昔前の常識や巷説ばかりを口にする私に時々は怒りさえあらわにした。
それでも猫を思いやる気持ちは皆同じと理解してくれたのか、次第に態度は軟化し、そして最後は愛猫を亡くした私の心傷にやさしかった。
「苦しんだのは可哀想ですが、苦しんだという最期の数時間は、恐らく意識はなかったと思いますよ。」

ふたたび巡り会うまで_f0044728_2331456.jpg


本当に何もしてやれなかった。
逆に教えられることばかりだった。

でも、愛しているがゆえに盲目になることもあるのです。

ふたたび巡り会うまで_f0044728_2355824.jpg


*****
今はただ冥福を祈ろう。

そしていつの日にか・・

また出ておいで。もしも私を許してくれるなら。
できれば、そう、
もうあくせく働くこともなく、日がな一日縁側で日向ぼっこができるようになった頃。
幼い子供の頃のようにお前と、長い長い時間をともに過ごそう。

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安らかにおやすみ・・・。
# by uneme_tayuu | 2007-02-04 22:15 | 愛猫 | Comments(2)