![]() 坪庭というわけではないけれど、ダイドコから見える外の景色。 ときどき風を入れるためにやってきては、ここで一息つく。 冬の間は炬燵だったが、いまは、春らしくちゃぶ台と座布団に衣替え。 そのちゃぶ台に両肘をついて、抱え込むように両掌でカップを持つ。 そうしてちびりちびりと飲む珈琲は、なぜだろう特別な香りがする。 大勢もいいが、一人居もまた似合う。 静かな時間のなせる技。 #
by uneme_tayuu
| 2006-05-13 23:21
| 竈の家紹介
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第五回かまどの会を、来る5月21日(日)に開催します。
詳細は以下のとおりです。 参加ご希望の方は、このブログのComments欄に書き込んでいただくか、ここまでお便りください。電話番号をご存知の方は、電話での申し込みも可能です。 今回は、私も参加している職人がつくる木の家ネットという、国産材を使った木組みの家、職人が伝えてきた技を活かした家づくりを提唱している、国産材産地・職人・工務店・設計士たちのWebネットワークの総会準備委員会を兼ねています。 委員会の打合せは午前中。引き続いて「竈の会」となります。 日 時 平成18年 5月 21日(日) 午前12時 ~ 午後17時頃 場 所 竈の家 会 費 2,000円程度(その日のメニュー、参加人数により多少異なります) 定 員 20名程度 お申し込みは、5月18日までにお願いします。 委員会の方で10数名の参加が見込まれます。参加ご希望の方は、早めにお申し込みいただくか、竈担当を申し出ていただくのが確実です。 また、駐車場は限られているため、当日は竈・料理担当者優先とさせていただきます。 その他の方は、近くの駐車スペースをご案内いたします。 #
by uneme_tayuu
| 2006-05-09 00:16
| かまど通信
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「お若いのに、お好きなんですの?」
わき目も振らず、かぶり付きで観ていたので気づかなかったが、お隣のご婦人だ。 「いえ、まだ最近なんです。」 若いといえる部類にはもうないと思っていたが、なるほど、私もまだ青いな、そう思わせる年代の方だ。 「若いうちから文楽がお好きだなんて感心ねぇ。」と会話を始めておきながら、私に興味があったわけではなく、相手が欲しかったようだ。 黙って頷いていると昔懐かし話をよく喋る。国立劇場がまだ日本橋に開場しておらず、四ツ橋の文楽座で興行していたころからの贔屓だというから年季の入りようも違う。なかなかに貴重なこともご存知の様子なので、しばらくは有難かった。 が、こと蓑助のこととなると、事情は一変だ。 「蓑助もねぇ、あの人病気したでしょ。今はもう手も震えてるし、観てられないけど。 昔はスッとした男前でねぇ、そりゃ格好よかったのよ!」 「あら、私、蓑助見に来ているんですの!今でもメチャ格好いいと思うんですのよ!!」 「あなたもね、はやく男前の若い人見つけると、楽しくていいわよ!」 「あら、私、もういるんですの!蓑助ですの!!」 ・・・・・・・・・・・・ 残念ながら、心で叫んだだけだ。 だって、それが実にだってなのだから・・。 【吉田蓑助】 昭和8年8月大阪生まれ 昭和15年6月 三代吉田文五郎門 呼名小辰 平成6年人間国宝。 7年前の平成11年11月、『一力』のおかるを遣った直後、脳内出血で意識を失う。 猛リハビリの成果で舞台復帰は果たしたものの、言語障害が残る。 復帰から5年。 動かす手がどことなくおぼつかなく見えるときもある。 そんな国宝級の年寄り病人を、私が?? もちろん、若い太夫などで贔屓にしてよいと思える人が探せないわけではない。 けれど、私は蓑助に惚れたのだ。 初めて舞台を観たとき、蓑助に遅れなくてよかったと心底思ったのだ。 だからせっせと通う。 蓑助の一挙手一投足、あと何回観ることが叶おうか。忘れないように。 目に焼き付けるために。 人形と同時に蓑助の顔を追う。動きを追う。掛け声に反応する。舞台と客席が交錯して自分が判らなくなる。 そんな気持ちにさせてくれたのは今のところ蓑助だけだ。 歌舞伎や新劇では得られないような一体感を私は文楽で初めて感じることができた。 これもまた蓑助のおかげだ。 だからまた通う。 7月も11月も来春も。せっせと通う。通う。通う。通う。 蓑助が舞台を降りるその日まで。 贔屓役者(蓑助の場合は人形遣いだが)に、歳も病気も関係ないと思う。 探さずとも出逢う。それが出逢いの本質といえる部分だ。 いまは本当に、『蓑助』が面白い。 #
by uneme_tayuu
| 2006-04-29 18:10
| 雑
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さて、今日は竈の家の利用方法について記載する。
利用するのはおおむね知り合いばかりだが、それでも全員が正しい利用方法を 認識しているわけではなさそうだ。 なので、最近こんなチラシを置いた。 【竈の家しょうかい】 築110年をこえる民家です。 通り土間のある田の字型民家の特徴をそのまま残しています。また大正末期から昭和 初期にかけて造られたレンガ造のかまども健在です。 しばらく空き家でしたが、現在はこのかまどを使ってかまどご飯を炊く「竈の会」を催したり、打合せに使っていただいたり、或いは、ただ のんびりしたい&宿泊に利用したいという方のために開放しています。 ご利用に当たっては裏面の「竈の家ご利用きてい」をご覧ください。 お申込みは、直接かまど管理人まで。かまどブログからもアクセスできます。 「竈の会」の様子やこの家の詳細は、時折かまどブログで紹介しています。 ~ URL http://kamado.exblog.jp ~ タイトル かまどと猫のいる生活 【竈の家ご利用きてい】 現在、利用料はいただいていません。 その代わり、1回のご利用につき、1奉仕作業をお願いしています。 作業は何でも構いません。かまどのチリ落し、土間や床の掃き掃除・拭き掃除、 庭の草取り、薪割り等できること一つで結構です。 棚を作ったり、外壁の傷み、土壁やかまどの補修等、本格的な大工工事&左官工事も できる方がいらっしゃれば大歓迎です。 作業をされましたら、作業内容を「かまど帳」に記録しておいてください。 竈の家の感想や差し障りがなければ連絡先(MAIL)なども書いておいてくださるととても嬉しいです。 ブログ(http://kamado.exblog.jp)への書き込みも大歓迎です。ご記入いただいた方には、今後の催しについてお知らせ致します。 幸い、今日は新客をお迎えする。 竈の会メンバーの面々と近隣の建築関係者たち、どんな話がここで繰り広げられるのだろうか? 私も初めての友人(美女!)を連れて参加することにする。 #
by uneme_tayuu
| 2006-04-22 11:18
| かまど通信
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竈の家のカマドは、重文民家などでよく見かける土製のカマドではなく、洒落たタイル張りの西洋クドである。
カマドも時代により変遷があるが、おおむね大正時代の中ごろまでは、粘土質の土でできた土クドが主流であった。所謂ヘッツイである。 その後、大正の末期から昭和の初期になると、ロストルという格子状の鋳物の板を中に敷き、表面をレンガで固めた西洋クドが広く使われるようになる。 ロストルの上で薪を焚く西洋クドは、焚口の下に通気口があり煙突を付けているので、熱効率は土クドに比べてはるかによい。また灰も取り出しやすく勝手がよい。 市史によると、市域に残されているクドもほとんどがこの西洋クドであるそうだ。 ![]() 伯母の記憶によると、竈の家のカマド(通常オクドさんと呼ばれている)は、伯母がまだ小学生の頃、手先の器用な近所のカンイチさんの手によって土クドから造り替えられたのだそうだ。 伯母は大正生まれであるから、時代の流れと合致している。 今はなくなってしまっているが焚き口には鋳物の扉がつき、ロストルもあった。 今も残っている西洋クドとしての特徴は、煙が直接屋根の外へ出るよう工夫された煙突だが、その煙突もいまは中央で大きくひび割れ、応急措置でもたせてある危ういものだ。 ![]() 鍋釜をすえる釜口の数は、左からハソリ用、釜用、ステクド、さらに一回り大きなハソリ用の釜口と合計四つ。 ![]() ちなみに、ステクドとは湯を沸かす専用の釜で、焚き口はなく両側の火力の余熱でひとりでに湯が沸く仕組みのもの。 表面に張られたタイルは装飾と耐火の役割をはたした。 *** さて、このように土クドから改良された西洋クドも、昭和30年頃から製造が始まったプロパンガスの普及により、ガスコンロにとってかわられることになる。 今またガスコンロは、IHクッキングヒーターにとってかわられようとし、人々が炎や煙を目にする機会はますます減っている。 *** 火を使うことでヒトとなり、火を使わなくなりヒトはこの先何になるというのだろう? #
by uneme_tayuu
| 2006-04-15 23:15
| 竈の家紹介
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