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小暑号 -今日は旧暦 6月 1日です-

~小暑~

急に暑くなってきました。
ここ数日は熱中症警戒アラートが発令中です。皆さんどうぞお気をつけて。

少し前になりますが、まだ雨が降り続いていた6月下旬頃、雨の合間を縫って果樹園を周遊していて、ふとレモンの木が今年はどれくらい実をつけたか? 気になって見に行くと、葉っぱの裏側に豆粒ほどの小さな小さなアマガエルがいました。

もう10年は前のことですが、市主催の自然観察会で、動植物の先生から「蛙は越冬しながら7年くらい生きる」と教わって以来、果樹園でカエルを見かけると『お前、何年生や?』と尋ねるのが私の常となったのですが、これはもう尋ねるまでもありません。まさに成りたての1年生蛙です。
よく見ると、幹の方にも同じ小さなアマガエルがいました。
よくよく見ると、地面にもぞろぞろと、今隣の田んぼから上がってきましたと言わんばかりの、親指の爪にも満たない小さなアマガエルが列をなして歩いていました。
その愛おしさと言ったら、、。
何でしょう、、。 日々、時間を工面しやりたいことをやりきって、充実した毎日を生きているつもりでも、実はそんなことは全くたいしたことではなく、生き物がただ生きていることが貴いのだと、小さな蛙は気づかせてくれます。

生きがいややりがい、生きる意味などを求めて毎日あくせくしている私たち。
行きたいところに出かけ、観たいものを観て、充足感いっぱいで自宅に戻っても、それは自らの生を全うすることからは程遠く、生の喜びとはかけ離れたところに在り、本当の喜びとは遠いところに探しに行かずともすぐ目の前にあるんだよ、それは今を精一杯生きることなんだよと、教えてくれるのが、この時はこの小さな存在であったようです。

人よりも他の生命体を好みがちな私、次は一体何に心を奪われるでしょうか(笑)

By かまど管理人


# by uneme_tayuu | 2024-07-06 21:56 | 暮らし暦 | Comments(0)

夏至号 -今日は旧暦 5月16日です-

今日は夏至です。
「一年で最も昼が長く、夜が短くなるころ」です。
屋内で一日過ごして、夜だと思って外に出たのにまだ明るくて驚くこともしばしば。
でも今日からまた少しずつ、昼が短くなっていくのですね。

うちの食卓には時々、季節の野草などの天ぷらが出てきます。
代表的なものは春のタラの芽、美味しいですよね。同じく春にかまどの管理人さんからいただくふきのとうや甘草。
柿の新芽やビワの新芽。これからの季節は大葉。秋には紅葉。ちょっと変わったものでは椿の花、などなど。

こういったものを食べていると、昔の人ってすごいなぁとつくづく感心します。
今わたしたちが食べているものは、食べられるとあらかじめわかっているものです。
昔の人は、これにはどんな栄養素があって…とか科学的なことがわからなくても、経験を重ねて美味しいものや、体に良いものを見つけてくれているのです。

そういった観点から、昔から食べられていないものはむやみに口にしない方がいい、という説をインターネットの記事で見ました。
それは昆虫食、その中でもコオロギについて語られていました。
その記事を書いた人の個人的な説だったのか、はたまたどこかの学者先生の説の紹介だったのか、あいまいな記憶で出所も不明ですが、その説には一理あるかもと私は考えています。
もちろん、今食品として加工されているコオロギはそのために養殖されているものですので、おそらく問題はない(むしろ栄養価が高いと評価されている)はずなんですけどね。

時代は進み、物質的には豊かになっているのでしょうが、食に関してはあまり進化しない方が自分には合っているのかもと思う今日この頃です。

千鶴子


# by uneme_tayuu | 2024-06-21 10:35 | 暮らし暦 | Comments(0)

芒種号 -今日は旧暦 4月29日です-

今日は二十四節気のひとつ、「芒種」です。(といっても、遅くなっており、もうしわけございません。)

芒種 とは、コメや麦などの穂の出る穀物の種をまく時期という意味だそうです
芒種 の 「芒」とは、稲穂や麦穂など、イネ科の植物の穂先にある細い毛のような部分を指します。「芒」は訓読みで「のぎ」と読み、漢字の禾(のぎ)偏と同じ意味です。 古来より、どれだけ農業特に田んぼを大切にしてきたか、漢字やことば、慣用句の端々に感じることができます。

我が家の目の前には、絶景かな、広大な田んぼが広がっています。春、水を張った田んぼの水面に映る我が家を観ながら、また秋、こうべを垂れた稲穂の黄金のじゅうたんの上を走る 近鉄特急 ひのとり を観ながら、庭で焚火を起こして飲むビールは最高なのです。私自身、また家族も含め、田んぼを作った経験はありませんが、田んぼの風景は自分のなかの源となっておるのです。
そんな目の前の田んぼが、広大な田んぼのなかのウチの前の二反分だけが、一週間前から突然埋め始めたのです。重機がやってきて、ダンプカーが我が物顔で乗り入れ、見た目にも残土をどんどん運び込む。農業委員会に確認すると、 「田んぼから畑に転用する」と申請を受けた付けたという。いやいや、この土では畑をするなんて、無理ですよ! と言っても後の祭り。あっという間に何百年と続いていたであろう田んぼは埋まってしまいました。

朝、目覚めのカーテンを開ける瞬間の暗い、鬱々とした気持ち。所有者の事情もわかります。農地法を大鉈をふるって改正し、この日本の原風景をいつまでも次代に残すよう、少しでも声を上げていきたいと思います。

さて、今年はオリンピックイヤー。イベント目白押しのなか、私の中にも大きな楽しみが。それは、4年に一度の同窓会です。いや、前回はコロナの影響で中止になったので、8年ぶりの集まり。学生の頃の思い出は色あせず、気持ちはタイムスリップして若返る。あの頃の考え方や経験は、これまた私のなかの源なっております。梅雨入りまぢかですが、晴れ晴れとした気持ちになれるイベントを心から楽しみましょう。

今回は佐野が担当しました。

# by uneme_tayuu | 2024-06-05 15:48 | 暮らし暦 | Comments(0)

小満号 -今日は旧暦 4月13日です-

あらゆる生命が満ち満ちていく時期である「小満」。城下町である大垣も、緑が美しい季節になりました。5月11、12日には、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一つに登録されている「大垣祭のやま行事」(大垣まつり)が開かれ、私も晴天に恵まれた初日に見物しました。ちなみに大垣まつりの山車である「やま」は、車へんに山と書く特殊な漢字を用います。メール配信の過程でうまく変換されない可能性があるので、この原稿では平仮名で書いていきます。

大垣まつりは大垣八幡神社の例大祭で、江戸時代初期の1648(慶安元)年、大垣藩主の戸田氏鉄(うじかね)が神社を再建したのを祝し、町衆がやまを作って曳き回したのが始まりとされています。やまは全部で13両。そのラインアップは、からくり人形が様々な芸や舞を披露するもの、子どもたちが乗って踊りを披露するもの、巨大な大黒天や恵比須神を載せたものなど、華やかで個性豊かです。

今年はできる限り多くのやまを見たいと考え、市役所前で13両が順番にからくり芸や踊りなどを披露する時間に合わせて出かけました。それぞれのやまを紹介するアナウンスを聞いていて印象深かったのは、1891(明治24)年の濃尾地震や、第2次世界大戦などの際に多くのやまが壊れたり焼失したりしてしまった後、1両ずつ修復・復元などしてきた歴史です。観光協会のホームページによると、2012(平成24)年の2両復元をもって70年ぶりに全13両がそろったとのこと。また、明治政府の神仏分離政策などの影響を受けて江戸時代とは異なる形になったり、からくり人形を一時期変えたりした経緯を持つやまもあるのだそうです。

祭りが始まった当時のやまは失われても、人々の思いは失われず、370年余を経た現代に受け継がれている。時代の荒波をしなやかに、おおらかに乗り越えてきた西美濃の土地柄に触れた1日でした。

(紘)

# by uneme_tayuu | 2024-05-20 15:53 | かまど通信 | Comments(0)

小満号 -今日は旧暦 4月13日です-

あらゆる生命が満ち満ちていく時期である「小満」。城下町である大垣も、緑が美しい季節になりました。5月11、12日には、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一つに登録されている「大垣祭のやま行事」(大垣まつり)が開かれ、私も晴天に恵まれた初日に見物しました。ちなみに大垣まつりの山車である「やま」は、車へんに山と書く特殊な漢字を用います。メール配信の過程でうまく変換されない可能性があるので、この原稿では平仮名で書いていきます。

大垣まつりは大垣八幡神社の例大祭で、江戸時代初期の1648(慶安元)年、大垣藩主の戸田氏鉄(うじかね)が神社を再建したのを祝し、町衆がやまを作って曳き回したのが始まりとされています。やまは全部で13両。そのラインアップは、からくり人形が様々な芸や舞を披露するもの、子どもたちが乗って踊りを披露するもの、巨大な大黒天や恵比須神を載せたものなど、華やかで個性豊かです。

今年はできる限り多くのやまを見たいと考え、市役所前で13両が順番にからくり芸や踊りなどを披露する時間に合わせて出かけました。それぞれのやまを紹介するアナウンスを聞いていて印象深かったのは、1891(明治24)年の濃尾地震や、第2次世界大戦などの際に多くのやまが壊れたり焼失したりしてしまった後、1両ずつ修復・復元などしてきた歴史です。観光協会のホームページによると、2012(平成24)年の2両復元をもって70年ぶりに全13両がそろったとのこと。また、明治政府の神仏分離政策などの影響を受けて江戸時代とは異なる形になったり、からくり人形を一時期変えたりした経緯を持つやまもあるのだそうです。

祭りが始まった当時のやまは失われても、人々の思いは失われず、370年余を経た現代に受け継がれている。時代の荒波をしなやかに、おおらかに乗り越えてきた西美濃の土地柄に触れた1日でした。

(紘)

# by uneme_tayuu | 2024-05-20 15:53 | かまど通信 | Comments(0)