あらゆる生命が満ち満ちていく時期である「小満」。城下町である大垣も、緑が美しい季節になりました。5月11、12日には、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」の一つに登録されている「大垣祭のやま行事」(大垣まつり)が開かれ、私も晴天に恵まれた初日に見物しました。ちなみに大垣まつりの山車である「やま」は、車へんに山と書く特殊な漢字を用います。メール配信の過程でうまく変換されない可能性があるので、この原稿では平仮名で書いていきます。
大垣まつりは大垣八幡神社の例大祭で、江戸時代初期の1648(慶安元)年、大垣藩主の戸田氏鉄(うじかね)が神社を再建したのを祝し、町衆がやまを作って曳き回したのが始まりとされています。やまは全部で13両。そのラインアップは、からくり人形が様々な芸や舞を披露するもの、子どもたちが乗って踊りを披露するもの、巨大な大黒天や恵比須神を載せたものなど、華やかで個性豊かです。
今年はできる限り多くのやまを見たいと考え、市役所前で13両が順番にからくり芸や踊りなどを披露する時間に合わせて出かけました。それぞれのやまを紹介するアナウンスを聞いていて印象深かったのは、1891(明治24)年の濃尾地震や、第2次世界大戦などの際に多くのやまが壊れたり焼失したりしてしまった後、1両ずつ修復・復元などしてきた歴史です。観光協会のホームページによると、2012(平成24)年の2両復元をもって70年ぶりに全13両がそろったとのこと。また、明治政府の神仏分離政策などの影響を受けて江戸時代とは異なる形になったり、からくり人形を一時期変えたりした経緯を持つやまもあるのだそうです。
祭りが始まった当時のやまは失われても、人々の思いは失われず、370年余を経た現代に受け継がれている。時代の荒波をしなやかに、おおらかに乗り越えてきた西美濃の土地柄に触れた1日でした。
(紘)