「小雪」:わずかながら雪が振り始める時期のこと。寒くなり雨と雪が入り混じって振る時期。
日常生活では炬燵を入れたり、鍋の時期を迎えたり、ほうれん草の美味しい時期になりますね。
個人的には晩ご飯のあと炬燵でぬくぬくしていると気持ちよすぎてそのまま寝てしまう時期でもあります。
コロナ禍がまだまだ続いていますが人の動きはコロナ以前ほどではないですが随分ともどってきた感じがします。
私はこの7月に感染しましたが無事に生きているのでこの原稿を書いています。喉がチクッと痛んだのがどうやら感染発症したはじまりだったのだと思います。熱は38度止まりでしたが、喉の痛みが焼けるようにヒリヒリと痛みました。私のまわりでも随分感染した人が増えてきました。無症状でも感染していることもあるそうなので、どこで感染するか、感染させるかわからないし、もう誰も責めたりすることはできない状況なのだと思います。
そんな昨今、自分が感染したこともありますが、コロナ禍が急速にひろまった2020年のことを少し思い出しました。
感染した人がでてその家に石を投げたり、落書きをしたりいろいろなことが起きていました。自粛警察などと呼ばれる存在まで出ていました。いったいなんの為に、誰のために、と考えてしまう。
そんなことを「これが正義だ」となんの疑いもなく行っていた人が2022年の今、コロナに感染していたりするんだろうなあ、と勝手に想像したりします。
その「正義」の人はいったい今どんな気持ちなんだろうか。
その手から投げた石の感触のことはすっかり忘れているのだろうか。
「コロナに感染しちゃってさあ」と軽く話をするのだろうか。
その「正義」という免疫が効いてコロナには感染しないのだろうか。
そのようなことを思い出しながら私には未経験のある時代のことを思ってみる。おそらく状況的に極めてよく似た状況が起こって居たのでは無いか? と更に想像してみる。
「私もその状況下(この場合はコロナ感染ということになります)に入ってしまうかもしれない」
この部分の想像力があるかないか、大きな精神的な分岐点ではないだろうかと思います。
いつどうなるのかわからない。そんなことを思いついたので書いてみました。
明日23日は宮中祭祀のひとつ新嘗祭が行われます。
その年に収穫された新穀を感謝の奉告を行い、これらの供え物を神からの賜りものとして自らも食する儀式が行われます。全国で行われる祭事ですね。伊勢神宮で行われる新嘗祭の記録撮影に行ってきます。
新暦ですとあと残り少しということですが旧暦だとまだまだ年の瀬までは月日もたっぷり。
炬燵に入ってミカン食べてのんびりしたいですね。静かに暮らせるささやかな幸せを感じながら。
小雪の日に
写真師松原