中秋の名月の妄想
仕事の休憩中にYouTubeを見ていて、ある方が「水洗便所は好きじゃ無いんだよ。まわりの人にはほとんど理解されないけど」と話をしていた。
ちょうどぼんやりとしているタイミングだったので、ぼんやりついでにお尻事情をいろいろと考えてみた。
「お尻だってあらってほしい」のコマーシャルに出演していたのは戸川純(みなさんご存じですか。知らない方はググってみてください)。
放映開始は調べてみると1982年頃から。
そのころ私はいくつくらいだっただろう? と生年月日から計算すると中学生の頃で、今からおよそ40年前のこと。
ニキビ面でTV画面で見たそのコマーシャルのことは案外鮮明に覚えている。
今でこそ当たり前になっている(と思われる)「お尻を水、温水で洗う」などということは当時まったく予想もしない出来事で、かなりの衝撃だった記憶がある。
それはもちろん戸川純という出演者の不思議すぎるキャラクターの影響も多きかったことも原因だとは思われる。
また同時に「抗菌ボールペン」などというものが出現してきたのもその頃ではないだろうか? 違うかもしれない。
そのCMが流れてから、ウォシュレットというものを体験したのは随分月日が経過してからだったような気がする。
その初体験は恐る恐るだった気がする。
それまで何かしらの匂いや香りを「プラス」することでどちらかと言えば「くさいものを他の匂いでごまかす」ということだったものが「洗い流す」ということでほぼ「匂いゼロ」の状態を生み出すことになった。
変な話だが誰にでも経験のあると思われる「う○こ」の拭き残し、ということから開放された訳だ。
それは匂いの「ゼロポイント」に到達したと考えられる。それ程強烈なお尻革命だったのだ、と言えるのだろう。
あの頃から、匂いゼロの方向性は加速度的に邁進して、現在がある。 匂いや菌というものを「除外」するということについて、これほど過敏にした時代も無いと思う。
匂いゼロの為にたくさんの商品が日進月歩で生み出され、それを消費する。
それはなぜなのか?
正確な答えはきっと無いけれど、「匂いがあると嫌われる」ということはひとつの要因だと思う。
匂わない方が「いい」のだ。
それでも、今日はいた靴下を洗濯かごに入れる前にこっそり嗅ぐ行為、それで自己の確認している私がいる。(気持ち悪い気分にした方すみません)?
ちょっと動物的だな、と思えるそんな行為をこっそり行っているひとが私は好きかもしれない。(それは誰だかわかりませんが、告白は不要です。笑)
匂い流れてどこどこ行くの。
もはや何が書きたいのかわからなくなってきましたが、中秋の名月を迎える日の「匂い」についての妄想だと思ってもらえれば幸い。
中秋の名月の妄想
写真師松原