小さな贈り物

f0044728_1527531.jpg

1月の竈の会のときのこと。
いつも遊びに来てくれるハルヤが私にハイと手渡してくれたもの。
"数珠玉"
それは、実は、私が常々探そうと思っていたものだった。

去年のあるお稽古の日、お花の師範も兼ねているお茶の先生が
「花展に使いたいんだけど、この頃どこを歩いていてもみつからないのよね。」
そう嘆いていたのを聞いてから。
忘れていた数珠玉の姿かたちを思い出しながら、
「竈の家の辺りにならまだあるかも知れない。探してみよう!」
秘かにそう思ったのだった。

私の心を読んでいたかのように、小さな両手のひらに散らばったいくつかの数珠玉。
思わず叫び声を上げた私をみて、どこで見つけたかを得意げに話す幼い笑顔。
この子の家の近くにはまだ多くの自然が残されているので
それほど珍しいものでもないらしく、
あんな、あんな、ウチの周りにいっぱいあるんやで!
嬉しそうに続けるその口調は、そんなに早く喋ったら咳き込むのではないかと
心配してしまうほど。

小さな顔いっぱいに広がる
とっておきの笑顔に出逢えるのも、かまどの家が私にくれた贈り物。
[PR]
# by uneme_tayuu | 2007-02-12 15:40 | かまど雑記 | Comments(0)

ふたたび巡り会うまで

新春2日目の朝、通いなれた道を私は一人、車を走らせていた。
愛猫を乗せずにこの道を行くのはこれが初めてで、最後。

病院に着いて、看護婦さんが猫の存在を訊ねたが、黙ってつっ立っているだけで、すぐに状況は理解された。

玄関先で最期の報告をする最後の病院は、私のケアだった。


チョコは31日のお昼になくなりました。
独りで静かに。
前日の夜遅くまで年賀状を書いていたために寝過ごしてしまったんです。
朝、目覚めたときはすでに苦しんでいました。苦しみながらおが粉に紛れていました。
夜中もしんどいのか眠れずにじっと土間に蹲ったままだったので、抱きかかえホットカーペットに寝かせ櫛で毛を梳いてやりました。
何度も何度も梳くうちに少しずつ横になりだしたので、少しは楽になったのかと思いました。それからもまた何度も梳いてやりました。
そうしてそのまま寝入ってくれるものと思い私もいつしか休みました。
いつから苦しみだしたのかはわかりません。
抱かかえるのがよいのか、そのままにしておくのがよいのか。
見守ってあげるのがよいのか、そっと一人にしておいてあげるのがよいのか。
そんなことすらも分かりませんでした。
結果的に延命治療になってしまったこの治療を含め、
私には、結局のところ、どうすることが一番よかったのかなにも分かりませんでした。
・・・・・・・
次々と息つく間もなく懺悔を続ける私に先生は黙って頷くだけだった。
やがて一息つくと、静かにこう訊ねた。
「それで。お葬式はしたんですか?」

はい。私は一晩一緒に居たかったんですが、翌日がお正月ということで
家族に無理やり説得され、その日のうちに済ませました。
「そうですか・・。それでよかったと思いますよ。」

でも!人間の都合に合わせるように大晦日の日に亡くなるなんてあまりに可哀想で。
旅行に行くことも知っていたんです。知っていたから・・
旅行だってもう何度も止めようと思ったんです!!
私は深くこうべを垂れた。
「いえ・・、いいんですよ。」

職業柄、動物の死は日常茶飯事であろうのに、先生は真摯な態度で私の話を聞いてくれ、決して否定することはなかった。

通い始めたころは、猫の生態のことも病気のことも、何も知らない私にただ驚き呆れていた。一昔前の常識や巷説ばかりを口にする私に時々は怒りさえあらわにした。
それでも猫を思いやる気持ちは皆同じと理解してくれたのか、次第に態度は軟化し、そして最後は愛猫を亡くした私の心傷にやさしかった。
「苦しんだのは可哀想ですが、苦しんだという最期の数時間は、恐らく意識はなかったと思いますよ。」

f0044728_2331456.jpg


本当に何もしてやれなかった。
逆に教えられることばかりだった。

でも、愛しているがゆえに盲目になることもあるのです。

f0044728_2355824.jpg


*****
今はただ冥福を祈ろう。

そしていつの日にか・・

また出ておいで。もしも私を許してくれるなら。
できれば、そう、
もうあくせく働くこともなく、日がな一日縁側で日向ぼっこができるようになった頃。
幼い子供の頃のようにお前と、長い長い時間をともに過ごそう。

f0044728_21581013.jpg

安らかにおやすみ・・・。
[PR]
# by uneme_tayuu | 2007-02-04 22:15 | 愛猫 | Comments(2)

悲しき宣告

チョコちゃんはチャコちゃんの生まれ変わり♪
チョコちゃんはチャコちゃんの生まれ変わり♪♪
チョコちゃんはチャコちゃんの生まれ変わり♪♪♪

ずっとそう信じ、
愛猫に昔愛した猫の面影を探し続けていた私。

その悲しい過ちに気がついたのは、忘れもしないあの日、あの時、あの瞬間。
そう、愛猫が不治の病にかかっている事実を知ったとき。
愚かだった・・・。
二年以上もともに暮らしながら
こんなに可愛いこの猫を、どうして私はちゃんと見てこなかったのだろうか?

ゴメンね、チョコちゃん!
ゴメンね、チョコちゃん!!
ゴメンね、チョコちゃん!!!

失意のどん底で私は愛猫に謝り続けた。
f0044728_16371827.jpg

[PR]
# by uneme_tayuu | 2007-01-28 16:52 | 愛猫 | Comments(0)

生まれ変わり

「だれかネコ飼ってくれる人、おらん?」
ある朝教室で、サカタくんがみんなにそう話しかけていた。

ネコ!

その言葉の持つやわらかな響きに反応したのは、私だけではなかったはずだ。
けれど、その一瞬の、ほんの僅かに微笑んだかもしれない私を、彼は素早くみつけて
こう言った。
「あ、猫もらってくれるん!?」

「あかんよ、ウチもう猫居るもん!」
「なんでー、居るんやったらもう一匹飼ってもええやん!」
「あかんよー、他の猫連れてったら怒るやん!」
「なんでぇ!!」
そんな会話だった。
それで終わりのはずだった。
それなのに・・。
道草をして帰ったわけでもないのに。
朝以外で一度も猫のことに触れなかったくせに。
それまで一度たりとも私の家に来たことなんかなかったくせに。

サカタくんはその日、私よりも早く、自転車の荷台に子猫を入れた段ボール箱を積んで
私の家で私の帰りを待っていた。
そうして段ボール箱から取り出した子猫を、私の腕にひょいと抱きかかえさせ
何食わぬ顔をして、さっさと帰って行ったのだ!
その捨子の子猫を抱きかかえた私を、飼い猫のチャコが黙って見つめていた。

その夜だったのだ。
私の目の前から、チャコが忽然と姿を消してしまったのは!!

何故だかわからなかった。
いつだって分かり合えていたじゃない!?
置いていかれた猫は見向きもせずに、夢中で探し回った。
幾日も幾日も待ち続けた。
けれど、その日以来、チャコが私の元に戻ることはなかった。

小学校に上がる前、近所の八百屋さんからもらった猫だった。
当時人気のテレビ番組「チャコねえちゃん」が好きだった私は
もらった猫を「チャコ」と名づけ、その日からずっと一緒の時間を過ごしてきた。
庭で遊ぶとき、縁側で本を読むとき、いつも隣にチャコがいた。
・・・
母が夜、見回りに来る。
チャコが私の布団から見つかると必ずひっ捕まえて外に放り出した。
「夜寝ることだけは許しません!」
だけど平気だった。出されても出されても、どこをどう登ってくるのか、二階にある私の部屋の、二つある窓の、高い方の窓の外側に、チャコはしばらくすると戻っていた。
背伸びをして高窓を開け、ふたたび抱き入れる。
そうしたことを繰り返していた幼い日の夜。
それだけで満足だったのに、
それだけで幸せだったのに、
その日、私は、そんなささやかな幸せに見放されたのだ。


昭和40年代初頭の新築の家のステイタスは、障子建具や衝立で仕切られた大部屋仕様の家から、壁を間仕切りで区切った「個室のある家」だったろうか。
小学校入学からほどなく新しい家が建ち、同級生の誰一人まだ持っていないような子供部屋を与えられた私は、その日から夜一人になった。
大きなベッドに一人の小さな私。
淋しくなかったのは昼間と同じように愛猫がそばにいてくれたからだ。

***
あれから何十年という歳月を隔てた今
あの頃と同じように毎夜横で眠る愛猫に
ときどき私は聞いてみる。

「ねぇ、なんであの時、何も言わずに出て行ってしまったの?」

すると愛猫は、丸い目をさらに丸くして私を見つめ、瞳の奥でこう言うのだ。
「何でそんなこと聞くの?また出逢ったっていうことだけで十分じゃない!?公園の暗い駐車場で、あんたはあたしが昔チャコという猫だったことに気づき、あたしもあんたがあのときの女の子だとわかったから、あんたはあたしを捕まえようとしたし、あたしもあんたに捕まったの!それ以外になにが必要だって言うの!?」

そうなのだ。
過去のことはもうどうだっていいのだ。
肝心なことは今こうしてまた一緒の時間を過ごせているということ。
すっかり大人になった私にもチョコ(チャコ)は変わらず優しかった。
私は、ささやかな幸せを、あの日以来、取り戻していた。

f0044728_18465448.jpg
               (幼き日、わかめちゃんカットの采女太夫)
[PR]
# by uneme_tayuu | 2007-01-21 18:56 | 愛猫 | Comments(2)

第7回かまどの会

「竈の会」はじまって以来の盛大な会だった。

半年振りの開催であり、新年会でもあったこと。
試みの企画中村昌弘氏による「木の家づくり」講演が開催されたことなどもあって
家中が、人、人、人であふれていた。
子供達の笑い声や叫び声、泣き声までもがそこかしこで聞こえていた。
予想もしない人が参加してくれたり、思わぬ人が立ち寄ってくれたり、
冬の寒さを感じさせないくらい大勢の人で賑わう、暖かで幸せな一日だった。

建具を外し二間続きで食卓を準備したのも初めてだ。
f0044728_0215683.jpg

ところで、
おにぎりがきっかけで始まったこの会は、基本的には、竈を囲み竈で炊いた握り飯を楽しむ「かまどで飯炊こう」の会なのだが、
回を重ね、人が増えるごとに食卓が豪華になっている。
ふと考える。
それはごく自然なことなのだろうか?と。
もちろん、豪華といっても高級な食材という意味ではない。
食卓にのぼるのは、旬の食材を使った竈で手軽にできる料理と持ち寄られる差入れだけである。
差入れも、時には地域の特産品や銘酒であったりするが、おおむね地場で採れた採れたての野菜やお肉、手作りの一品、或いは頂き物、家にあったもの、と
この日のためのとっておきであり、この日のために仕込まれた品々ではあるが、
誰かが特にお金をかけているというものでもない。
f0044728_0224323.jpg

昔の造りの小さな流しと狭くて暗い竈での調理は、お年寄りでなくとも大変なのだから、差入れは大いに歓迎されているし、助かるのだが、こちらから要求しているものでもない。
それでも、誰彼となくそれぞれに心をこめて手渡してくれるのは、気心の知れた仲間達と、懐かしくゆっくりした時間の流れの中で食を楽しみたいと考えるからだろう。

食は人間の一時的要求であり、食の楽しみは人生の楽しみでもある。

だが、ちょうど2年前の最初のきっかけを知っている私は、舌鼓を打ちながらも、
ふと我に返り、どうしてこんなことになってしまったのだろう?と、そっと苦笑いしてもしまうのだ。
それは、集った数人が竈をかこみ、竈と対話をし、試行錯誤の上炊き上げた本当に真っ白なご飯だけを、竈の神様に感謝しながら頬張ったあの日を、忘れられないからかも知れない。


人が増えれば自然と流れも変わるし、楽しみ方も変化する。今回のような大人数になれば全員で竈を囲むこと自体が不可能だ。
ただ食べるだけの人が居たり、話込んでばかりの人が居てもいい。
思い思いに過ごせる空間が竈の家のよさなのだから。
幸せなことに竈に集うメンバーには料理好き、おもてなし好きが多いので、狭い竈以外のあちこちで思い思いに料理する人も見かけたりする。
f0044728_021253.jpg

人がどんなに増えたとしても、入れ替わったとしても、都度の献立に困ることはなさそうだ。

今回ほとんど料理らしい料理のお手伝いをしなかった私は、差し出される品々を少しずつ順番に平らげながら天邪鬼にも心の中でつぶやいてみた。
「おにぎりとお味噌汁だけでも十分満足なんだけどね!」と。


参考までに今回のMENU
・むかご炊き込み竈ご飯のおにぎり
・牡蠣竈ご飯のおにぎり
・かまど冬瓜汁
・山梨県内で撃ち落とされた鹿肉のシチュー
・地場産菜の花のお浸しゴマ和え
・差入れ黒豆煮
・差入れ卯の花
・鈴鹿名物ひの菜漬け
・七輪で焼く猪肉のあぶり焼
・ダッチオーブンでつくるオイル・フォンデュ
・静岡名物富士宮焼きそば
・長野県産無農薬の赤米玄米竈ご飯
・手作りアップルパイ
・小豆からじっくり煮込んだ善哉
・九州名物ゆべし

その他に、食し切れなかった差入れの「お豆腐」、子供用お土産の「ニッキ水」「ボンタン飴」、沖縄銘菓「ちんすこう」、四日市銘菓「永餅」、変わったところでは「みたらし味のグミ」などなど。
[PR]
# by uneme_tayuu | 2007-01-15 23:58 | かまどの会 | Comments(10)

哀傷

あくる年を待たずしてみまかりける愛猫を悲しみて
晦日夜詠める

  悲しさの いとどまされる 野辺送り
           けふを限りの 今年なりせば 


寝て起くる朝詠める

  別れにし 猫は居べくも あらなくに
            いかでことしの 春ぞあけぬる 
                                      ・・・・・ 采女太夫
[PR]
# by uneme_tayuu | 2007-01-08 10:46 | 愛猫 | Comments(2)

チャリチャリチャリ、チャリチャリチャリ・・、
明け方布団の中でそんな音を聞くのは久しぶりだった。
まだうずくまりながら独りごちた。
「ヤッパリな・・昨日の風からしてそんな気がしたんだよ。」

国道沿いの我が家の寝室からは走り去るトラックの音がよく聞こえる。
昨朝はチェーンの音でお目覚めだった。

しかし、こんなに積もっているとは思わなかった。
一面の雪景色。
汚れたキャンバスをまた白くして新しい年を迎えるに相応しい雪。
f0044728_10353343.jpg

竈の家に向かう途中、采女城址のある北山を望む
思わず立ち止まらずにいられない。
f0044728_10365314.jpg

庭の山茶花にも雪
f0044728_10564566.jpg

勝手口の坪庭にも雪
f0044728_10373575.jpg

常夜燈にも雪
f0044728_10591847.jpg

そして、愛猫にも雪
・・・・・猫には雪がよく似合う。
f0044728_10375990.jpg



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一年間、竈を見守ってくださったみなさま、本当にありがとうございました。
来年もまた楽しい時間をご一緒したいと思っています。
どうぞヨロシクお願いします。
f0044728_11192441.jpg



~古い民家で自然や人とつながりながらゆっくり暮らすことを考えてみましょう♪~

2007年も素晴しい出逢いの年でありますように♪
[PR]
# by uneme_tayuu | 2006-12-30 11:44 | | Comments(6)

かまど通信 vol.4

第七回かまどの会を、新春1月14日(日)に開催します。
詳細は以下のとおりです。
参加ご希望の方は、このブログのComments欄に書き込んでいただくか、ここまでお便りください。電話番号をご存知の方は、電話での申し込みも可能です。

今回は、新しい試みとして、ご自分の家を建てるために二級建築士の資格を取られたという松阪市在住の建築士中村昌弘さんに、「木の家の設計について」一時間程度お話を伺います。(第2部)
「竈の会」はその後の開催となります。(第3部)
また、第1部として11月に開催された「職人がつくる木の家ネット」三重総会の反省会も行ないます。スタッフの方、万障繰り合わせてご参加くださいますようお願いします。
関係者以外の方の聴講もどうぞお気軽に。

***
建築関係者でなくとも、一生に一度の大きな買い物である「家」「家づくり」について、関心のない方は居ないのではないでしょうか。
一昔前までなら、中村さんのように設計士の資格を取らずとも、誰でもが大なり小なり、自分の家、隣近所の家づくりに参加していたはずです。
そんな頃のことをほんの少し振返るだけも、自分達の今の暮らしや環境のことを考えるよいきっかけになると思います。
この機会に皆さんで一緒に考えてみませんか?竈の家でお待ちしています♪

日 時  平成19年 1月 14日(日) 午前10時 ~ 午後17時頃
       第1部 10:00 ~ 職人がつくる木の家ネット三重総会反省会
            11:00 ~ 休憩
       第2部 11:15 ~ 「木の家づくりについて」 講師:中村昌弘さん
       第3部 12:30 ~ 竈の会
場 所  竈の家
会 費  2,000円程度(その日のメニュー、参加人数により多少異なります)
       ※ 第1部、第2部のみ参加の方は参加費無料です。
         申込時にその旨ご連絡ください。
定 員  20名程度


お申し込みは、1月11日までにお願いします。
駐車スペースが限られているため、駐車場は前泊者、竈・料理担当者優先とさせていただきます。その他の方は、近くの駐車場をご案内いたします。
お気軽にお問合せください。
[PR]
# by uneme_tayuu | 2006-12-23 14:37 | かまど通信 | Comments(0)

来客

庭に山茶花の咲き乱れる冬。
f0044728_15432691.jpg


周囲が深と静まり返る夜になると
静かだった風が、これ見よがしに音を立て騒ぎ始める。
枯葉にざわつく風の音、
ひゅるひゅると宙を舞う風。
雨戸を叩く激しい音、
木製建具の隙間から入り込んで来るすきま風。
聞きながらゆっくりと目を瞑ると
小さな家の中は「魔王」の住む広い闇の世界へと変貌する。

そんな冷たい魔王の住む季節、
夏を旨とした風の通りのよいこの家に
先週初めから一人のお客人が、住み始めた。


どんな宿かと訪ねて来た日は、まだほんの秋口で
夏の名残のキツイ日差しが、深い庇に遮られ、涼しい風が吹いていた。
よりによってこの寒い冬に・・
とは思うものの、仕事は季節を選ばない。

出稼ぎ仕事の木賃宿。


***
昨夜、陣中見舞いと称し、間貸しして初めて竈の家を訪ねた。
どう?と訊ねたときには、「メチャクチャ寒いよ!!」と嘆いていた。
それでも幾分かは慣れたのであろうか?
かりそめとは思われぬ荷物の山に私の方が驚いた。
なぜか礼服までもが長押にかかっている。

もう一人、臨時の客人とともに日付が変わるまで話し込んだが
包まれる炬燵と仲間が居れば、機密性のないこの家も快適な空間となれる。

今はお風呂も近くの温泉通い。寝に帰るだけのこの家も
仕事をやり遂げたら二、三日延泊をして
薪でくべた桧風呂にのんびり浸かって過ごしたいと言う。

また一人「竈愛好家」が増えたようだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
f0044728_1573826.jpg
             (臨時の客人から届いた雑然とした部屋の画像)

f0044728_157553.jpg
                  (翌朝庭から眺める山茶花)
[PR]
# by uneme_tayuu | 2006-12-16 18:35 | かまど雑記 | Comments(2)

グレゴール・ザムザ殺害事件

ここ数日の私は大量殺戮鬼と化している。

一時的に症状は治まるのだが、しばらくすると居ても立ってもいられなくなり
庭に出てあるものを探し回る。
そして殺戮。
次々と殺戮。

***
仏教徒である私にとって
「すべての人間ばかりか動物はもちろん
植物をも含むすべての生きとし生けるものを殺してはならない」
という仏教の十戒の中でも第一に挙げられている「不殺生戒」道徳に反することは
かなりの苦痛を伴うものである。
勿論、人は生き物を全く殺さずに生きて行くことはできないが、
無益な殺生は慎むべきであるというのが釈迦の教え。
それなのに夢遊病者のようにふらふらとあるものを捜し求めては手を汚す私。
ザムザ惨殺が無用の殺生かどうか・・否と断定することは私にはできない。
だから、
その罪の意識が夜あらわになる。

庭木に付着し、葉を食い散らすザムザの大群を見つけた瞬間
トングで摘まれ庭石の上で惨殺された死骸の数々
黄色い汁を流すもの、緑の汁を流すもの
からだをくねらせながら苦しむもの
半分つぶされながらも逃げ惑うもの
昼間目にした光景が布団の中でフラッシュバックになって蘇る。
そして
この毛虫たちは、グレゴール・ザムザと同じように
元は人間だったかも知れないという妄想。

***
だいたい、なぜこんなことをしているかというと、
今年はこの時期になっても庭屋さんが入らないからだ。
去年ちょっとした諍いがあったからだろうか?
時期が来れば連絡せずともやってきていたはずが、今年は一向に現われない。
庭屋さんが来て薬剤散布することも、私が手を下すのも、同じといえば同じなのだが
やはり心的外傷の大きさが違う。

それなのに、時間がたつとまた庭に出て、鷹の目のようにするどい目線で
狙った獲物を一網打尽にする私。
仏の顔の私は、そのとき一体どんな表情をしているのだろうか。

f0044728_10253658.jpg
                   (殺された小ザムザの死骸)



今年はウチだけでなく、あちこちで毛虫が異常発生しているのだと聞きます。
皆さんのお家の庭は大丈夫でしょうか?
[PR]
# by uneme_tayuu | 2006-10-07 10:42 | | Comments(6)