<   2009年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

処暑号 -今日は旧暦7月4日です-

昨日まで知人である名古屋の映画監督の作品の広報用撮影をしていました。
私が担当したのは撮影日程後半戦の約1週間ほど。
35ミリ映画のフィルム撮影の現場にお付き合いさせてもらいました。
俳優、撮影技師さんや証明技師さん音声さん、それにエキストラやサポートするス
タッフ、大勢の人たちで成り立つ現場。

「よーい、スタート」「カット」監督の声で1シーン1シーンが撮影されてゆきま
した。
連日必要なカットを1つずつ終了させてゆくという作業の繰り返し。
必要なカットが順調に運ばないとなると25時間続けてということもありました。
それでも人間は結構睡眠不足でも動けるもんだな、と感じさせてもらうこともでき
ました。
その映画も昨日クランクアップ。無事終了ということになった訳です。

作品名などはまたお知らせできる時期が来ましたらお伝えします。
久しぶりにほんとに疲れたな、という状況を体験させてもらいました。
体と精神力は鍛えておかないと、と痛感する1週間でした。
映画っていろんな人を巻き込みながら作り上げてゆくんだ、ということを現場でま
じまじと感じさせてもらった貴重な夏の体験でした。

竃の家もこれからどんな人達を巻き込んで行くのでしょう?
楽しみなのです。
それにしてもやはり眠い。


写真師 松原
[PR]
by uneme_tayuu | 2009-08-23 10:11 | 暮らし暦 | Comments(0)

小さな来館者

今日は開館して初めて小学生のお子さんが見学に来てくれました。
学校の担任の先生のお手紙ではじめて「まちかど博物館」のことを知ったと話してくださるお母さんの助けを借りて、夏休みの自由研究に市内の「まちかど博物館」を回るのだそう。

それにしても、小学生の子供達を相手にこの家の説明を、と言われて愕然!
分かりやすく噛み砕いて説明することの難しさに衝撃を受けました。なんとなく背景の分かっている大人と全く未知の世界の子供と、同じ説明で言い訳がありませんよね。
子供達の目は真剣です。耳をじっと傾けて頷きません。
“子供って・・頷かないんだったっけ?”
つい、不安になってお母さんに目をやると、お母さんはその時々で「うんうんそうよね」と頷いてくれています。少し安心しながらも、やはり
“もっと興味をそそるうまい解説ができないと納得しないよね、君たちは!”
説明の拙さを痛感しました。
強制されてきているわけでも興味がないわけでもないんです。
何か聞きたいことはありますか?と尋ねるとあらかじめ用意してきたいくつかの質問を投げかけてきます。そしてきちんとメモを取って私の言葉を書き留めてくれています。

でもやっぱりその質問は、私の予想していたものとは少し違っていました。
“なるほどそういうことが知りたいのか!”
子供の視線に返ったとき、自分だったらどういうことが知りたいのか?
それを省みると今日の応対は存分からは程遠く、私のほうが逆に勉強させてもらったという始末。
にも関わらず、長時間に亘りじっくり見学をして頂いて、今日のこの小さな来館者さん達にはとても感謝しています。

私はこの教訓を忘れずに、これから館長としての経験を積んで行くことにしましょう。
手始めに今日の質問をもとに≪竈の家Q&A≫をつくってみました。
可成哉?

≪竈(かまど)の家(いえ)Q&A≫

Q.この家で一番古いものはなんですか?
それは家そのものです。明治時代の終わりに建てられました。
他に庭の大きな木もとても古いものです(ケヤキ・クスノキなど)。

Q.この家で一番新しいものはなんですか?
冷蔵庫です。平成18年に管理人さんのお友達が寄付をしてくれました。
一番たくさん残っているのは昭和時代のものです。
(例)オクドさん・タイル張りの流し・ガス湯沸かし器・ガス温水器・二層式洗濯機・黒電話・ぜんまい式掛け時計・レコードプレーヤー・食器棚 など
トタンに張り替えた外壁も昭和時代のものです。

Q.かまどで火を使うことはできますか?
不定期ですが「竈の会」という会を開いています。この会では参加者が協力して竈に火を熾(おこ)し、ご飯やお味噌汁をつくります。薪割りや、食事の準備、お掃除・後片付けなどもみんなで手分けして行ないます。
「私も竈の火を使ってご飯を炊いてみたい!」と興味を持ったら、次はいつ「竈の会」の催しがあるかを尋ねてみて下さい。

Q.なぜこの古い家を残しているんですか?
10年前までこの家で暮らしていた管理人さんのお祖母ちゃんがとても大切にしていた家だからです。
管理人さんも小さい頃によく遊びに来ていました。その思い出がいっぱい詰まった家だからでもあります。

Q.なぜ「まちかど博物館」に登録したのですか?
武家屋敷や商家、庄屋さんの邸宅など、立派なお家は地域の文化財として市の登録文化財になったり、資料館になったりしますが、「竈の家」のように20年位前まで普通にみられた民家は価値が低いため、ほとんど残されることがありません。
でもそれでは明治・大正・昭和の時代の庶民の生活がどのようなものだったか分からなくなると危惧(きぐ)したからです。

Q.なにか一言どうぞ
木の家の住まいには、自然や人の暮らしが発する様々なにおいがあります。無味無臭の清潔さではなく、生活が営まれた証ともなる残り香。
それは訪れた人に無意識のうちに懐かしさを感じさせます。そしてそれがこの家の魅力の一つとなっていると思います。
どうぞご自身の身体で不思議な懐かしさを体感してみてください。
[PR]
by uneme_tayuu | 2009-08-10 22:51 | 博物館な日々 | Comments(0)

立秋号 -今日は旧暦6月17日です-

先日、思わぬことで、「広島の原爆の火」というものを手にする機会に恵まれまし
た。兵士が身内の形見代わりに守り続けた原爆火災の残り火を、旅の演奏家、丸山
祐一郎さんと、こやまはるこさんが、九州から各地でライブをしながら、北海道ま
で連れて行く…という内容でした。

偶然にも三重の会場が、かまどの仲間の津市の松原さんの店「Hibicore(ヒビコ
レ)」で、翌日の会場が名古屋のいつも世話になっている「空色曲玉」さんでした。
実は私は両者からほぼ同時に案内をもらったのです。結果的に、私は津だけでなく
名古屋まで松原さんと足を運び、ここでもまたいろんな出会いが生まれたのです。

津でも名古屋でも、3つのベンジン懐炉に分けて携帯している原爆の火を、ろうそ
くに移し、コンサートは行われました。まるで供養するかのように。ところが不思
議なことに、怒りと苦しみの炎に「癒されている」自分を発見するのです。懐炉を
手に持たせてもらったのですが、その温かみは生涯忘れられないでしょう。

1945年(昭和20年)の昨日、広島の町を一瞬に吹き飛ばしたピカドン。
その炎が、彼らの演奏と共に、この時代に「人の繋がり」をつくっていきました。
自分に何ができる?なんて思ったりもしながら、とりあえず動いてみたことで、出
会いや再会が生まれて、せめてもの供養になったのだと勝手に確信しております。

(記=かまどメール番人/池山)

参考
http://pace628.blog7.fc2.com/(虹のHoshiプロジェクト)
[PR]
by uneme_tayuu | 2009-08-07 22:32 | 暮らし暦 | Comments(0)