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紫陽花基金

雨上がりを待って竈の家を訪ねた。
理由は、紫陽花。
露に濡れた花びらの美しさを確かめにきた。

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彩りよく赤紫の紫陽花が出迎えてくれたと言いたいところだが・・・、
花咲く季節だけしか見向きもされない紫陽花は、少し痛んでやせていた。

この家がまだ主人を持っていたころ
紫陽花はもっと華やかに
この季節特有の彩りを常夜灯とバス停に添えていたはず。
たとへば、こんな風に・・・

   「常夜燈 昼は紫陽花 明りかな」

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常夜灯が自慢で、紫陽花が好きだった祖母は
齢七十を過ぎて始めた俳句で紫陽花と常夜灯の句をいくつか残した。
死後、従兄弟が中心となって一冊の句集にまとめたのだが、この絵はその中表紙の挿絵。
この絵のイメージが、私の中で、いつの間にか現実との乖離を起こさせていた。

***

   「旧街道 紫陽花浮きたつ 常夜燈」

   「煤払う 油煙に染みし 常夜燈」

久しぶりに句集を開きながら考えた。
そうだ!基金を募ろう。その名も「紫陽花基金」!!
そうして集まった基金で竈の家の玄関をこの挿絵のように紫陽花で埋め尽くすのだ!

大げさなことなどしなくていい。
ほんの少し。ほんの少しだけ!

面白い遊びを思いついた子供のように、心がはしゃぎだした。
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by uneme_tayuu | 2006-06-24 12:03 | かまど雑記 | Comments(2)

水ヌキの池

ここが何処かわかる人はかなりの竃の家通かもしれない?
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草刈もほどほどのかなり荒れた竈の家の敷地の一部。

実はこの辺りは、昔、池だったらしいのだ。
曽祖父が始めた材木屋家業。
祖父の代になって「商売を大きくするならやはり東海道に出ないかん!」と
店と自宅を別々にするまでは、この家で商いが営まれ、
地元の大工さんが出入りをした。
木材は、牛車を使い数人がかりで、3本か5本ずつ、近くの山から運んでいた。
そんな頃の話だが、驚いたことに、ここはその当時、山から切り出された木材を
水中乾燥するための池だったのだ。

一反ほどある敷地だが、今は5倍の広さの土地で仕事をしているので、母から
「昔はここで商売をしていたやんに。」と聞かされたときでさえ、こんな狭いところで
どうやってできるの?と思ったものだ。
それなのに貯木場まであったとは!驚きというほかには言葉が出ない。
現代のようにスピード化された時代ではないので、木材の乾燥も
のんびりと半年から一年はかけていたという。
そんな頃の規模でいう半年分の木材の量がどれくらいだったのか?
数人がかりで運んでくる木材がどのように狭い敷地の小さな池に浮かんでいたのか?
池の深さや大きさは?水路はどうやって?
そして結局いつ埋め立ててしまったの?
まだまだ聞き足りないことはたくさんあったのだが・・・


「水に浮いとる木の上をな、池に落ちんようにポンポン飛び移るんが子供の頃の
ええ遊びやったんや。おてんばやったさかい、よぉ父親から叱られたもんや。」


このことを教えてくれた伯母は、最後にはそう言って昔を懐かしみ笑いながら
ひとりでに電話を切ってしまった。

切れた受話器を置きながら、私も思い出した。

そうだ私も!山積みされた原木の上や下が・・。飛びのったり、隠れ家にしたり、僅かな隙間をくぐり抜けたり・・。
製材される順番を待つ木材の原木置き場が私の格好の遊び場で
お人形なんかでは少しも遊んでいないのだった!
時代は違えども材木屋の娘の遊びは同じなのだと考えながら少しおかしくなった。
今ではすっかり真面目に大人しく変身してはいても、「おてんば、じゃじゃ馬、暴れ馬」と時々人にいわれてしまうのは、こうした原体験故なのかも知れないと・・(笑)。
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by uneme_tayuu | 2006-06-17 19:48 | 竈の家紹介 | Comments(5)

修繕と絆

奥座敷南側の縁側。
ナンドの次に荒れていたのがここ。
ナンドと違って、原因は雨漏りではなく、地盤の沈下による家の傾きだった。

空き家となって間もなくの頃、追い討ちをかけるように、近所の悪戯好き小学生の手によって、掃き出し窓のガラスが割られた。
以来、ここは合板と仮筋違で打ち付けられた閉ざされた空間となっていた。
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有難いことにここにも修繕の声があがった。

打ち付けられた合板が取り外され、ジャッキで傾いた躯体を持ち上げただけで、建具のすべりが随分とよくなった。
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仕上げは勿論鉋がけ。腕自慢の大工がサーっとひと掛けするだけで見違えるように敷居も鴨居もよみがえる。
無垢材を使っているからできることかもしれない。


「100年前の人に話は聞けないですからね。でもこの建物が教えてくれますよね。」
の名言に観客席から歓声があがった。
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***
こうした家の修繕のきっかけを作ってくれた、今では私の最も信頼する竈フードコーディネーターと竈の会の定期開催を提唱した五月組親方の二人が、きょう、時の記念日に入籍をする。
愛・地球博が縁で出逢った二人だ。この家も万博と二人の出逢いがなければ、ここまで手直され、広く一般に利用されることはなかったに違いない。
万博を通して繋がった輪に感謝しながら、二人には、この竈の家と同じくさりげない、二人だけの永遠の時を刻み続けていって欲しいと心から願う。
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by uneme_tayuu | 2006-06-10 12:12 | 竈の家紹介 | Comments(12)

ナンド

ダイドコの奥にあるのがナンドと言われる部屋。
ここで家族が寝起きした。
私が生まれたときすでに父母の生活の場は現在の地に移っていたが、
家業で忙しかった母に代わり祖母が私の面倒をみることがよくあった幼い頃、遊び疲れて寝かされたのがこの部屋で、
2年前、この家の再利用を思い立って閉め切った雨戸を開けたとき、一番荒れていたのもこの部屋だった。

原因は雨漏り。数箇所で屋根の瓦が割れていた。
庭に予備の瓦が残してあったので、据え変えようと助っ人を頼んだが、よくよく見ると瓦はどれも形の違うさん瓦とがんぶり瓦で、合うものはなかった。
応急措置で、離れの便所の瓦を割れた瓦と据え変えた。
以来、雨漏りはおさまったが、床や柱・梁、壁は5年のうちに相当の損傷を受けていた。


そんな荒れたナンドに、ある日朗報が持ち上がった。
それは、出入りの竈メンバーに取材カメラが廻るというテレビの特番企画。
ロケ地に選ばれたのが「竈の家」だった。
収録の内容は、勿論、作りごとなどではなく、我々がやっていることであり、やろうとしていること。つまり、竈で炊いたおにぎりご飯を楽しむ「竈の会」を開きながら、竈に代表される昔ながらの時間のかかる生活を再現しつつ、この住む人の居なくなった古い民家に手を入れていこうというもの。

手を入れるってどうやって?なんでテレビ局が?
そう思うかも知れない。
が、以前の記事でも紹介したように、最初にここに足を踏み入れた彼ら、現竈メンバーは、何を隠そう、正真正銘の本職大工なのだ。
それもテレビカメラが追うほどのマニアックなカリスマ大工達。

彼らを一躍有名にしたのは、昨年の愛・地球博で大人気だった「サツキとメイの家」。で、
「サツキとメイの家」を請負うために集まった技術者集団を五月組工務店と呼ぶのだが、その五月組の親方や棟梁ら幹部と最初にここにやってきた竈メンバーは不思議な縁で同じなのだ。


それぞれの仕事に戻り、忙しい日々を送るなか、撮影のための下準備がなされた。
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打合せ。
材料の拾い出し。
当日作業の前準備。
畳をめくり、土台を据えなおし、敷居を入れたのは前日の夜中だった。
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当日のロケは、万博が育み培った人と人のつながりを記録し、思わぬ縁から生まれたこの家の夢を映し、子供達に昔ながらの生活の知恵を授けもした。

そうして撮影の当日に出来上がったのが、この温かみのある杉の床板のナンド。
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雨漏り水をたっぷり含んだ畳が取り払われ、床に敷いた竹墨の効果も合間って、今は雨の日でもじめっとしたイヤな感じがなくなった。
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by uneme_tayuu | 2006-06-03 10:40 | 竈の家紹介 | Comments(5)