カテゴリ:愛猫( 9 )

放任主義

放任主義の結果、猫が12匹に増大した。
大・中・小のトラ猫7匹が屋敷中を走り回っている。
残りの5匹はまだ赤ちゃんなので、人目につかないよう
ひっそりと育てられているのだが
表を堂々と走り回るようになるのは時間の問題でしかない。

「飼い主くらいすぐに見つかるさ!」
高をくくっていたが、そうもいかない事実に愕然としながら
そういう状態を楽しんでもいる。
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すべては神の御心のまま。
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by uneme_tayuu | 2008-07-05 08:32 | 愛猫 | Comments(2)

住み着いた野良猫

愛猫が居なくなってから早半年。
しばらくは、思い出を胸にいだき、孤独に生きようと決めていたのに
世の中そんなに甘くはない。

時をおかずして居ついた猫のくつろぐ姿をみていると
やっぱり、どんな猫でも、猫であるだけで愛しいと思ってしまう
悲しい性。
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恐らく、子を宿しているなど、思いもしなかったであろう
まだ成長しきれていない小さな身体をして
えさを与えると、日に日にお腹だけが膨らんでいったトラ猫。

2ヶ月足らずでわが子を産み、
育みながら大人へと成長した親猫と
生後50日、いつしか親と瓜二つの、立派なトラとなった子猫。

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彼らに、ここは終の棲家となるのだろうか?
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by uneme_tayuu | 2007-06-30 16:10 | 愛猫 | Comments(8)

ふたたび巡り会うまで

新春2日目の朝、通いなれた道を私は一人、車を走らせていた。
愛猫を乗せずにこの道を行くのはこれが初めてで、最後。

病院に着いて、看護婦さんが猫の存在を訊ねたが、黙ってつっ立っているだけで、すぐに状況は理解された。

玄関先で最期の報告をする最後の病院は、私のケアだった。


チョコは31日のお昼になくなりました。
独りで静かに。
前日の夜遅くまで年賀状を書いていたために寝過ごしてしまったんです。
朝、目覚めたときはすでに苦しんでいました。苦しみながらおが粉に紛れていました。
夜中もしんどいのか眠れずにじっと土間に蹲ったままだったので、抱きかかえホットカーペットに寝かせ櫛で毛を梳いてやりました。
何度も何度も梳くうちに少しずつ横になりだしたので、少しは楽になったのかと思いました。それからもまた何度も梳いてやりました。
そうしてそのまま寝入ってくれるものと思い私もいつしか休みました。
いつから苦しみだしたのかはわかりません。
抱かかえるのがよいのか、そのままにしておくのがよいのか。
見守ってあげるのがよいのか、そっと一人にしておいてあげるのがよいのか。
そんなことすらも分かりませんでした。
結果的に延命治療になってしまったこの治療を含め、
私には、結局のところ、どうすることが一番よかったのかなにも分かりませんでした。
・・・・・・・
次々と息つく間もなく懺悔を続ける私に先生は黙って頷くだけだった。
やがて一息つくと、静かにこう訊ねた。
「それで。お葬式はしたんですか?」

はい。私は一晩一緒に居たかったんですが、翌日がお正月ということで
家族に無理やり説得され、その日のうちに済ませました。
「そうですか・・。それでよかったと思いますよ。」

でも!人間の都合に合わせるように大晦日の日に亡くなるなんてあまりに可哀想で。
旅行に行くことも知っていたんです。知っていたから・・
旅行だってもう何度も止めようと思ったんです!!
私は深くこうべを垂れた。
「いえ・・、いいんですよ。」

職業柄、動物の死は日常茶飯事であろうのに、先生は真摯な態度で私の話を聞いてくれ、決して否定することはなかった。

通い始めたころは、猫の生態のことも病気のことも、何も知らない私にただ驚き呆れていた。一昔前の常識や巷説ばかりを口にする私に時々は怒りさえあらわにした。
それでも猫を思いやる気持ちは皆同じと理解してくれたのか、次第に態度は軟化し、そして最後は愛猫を亡くした私の心傷にやさしかった。
「苦しんだのは可哀想ですが、苦しんだという最期の数時間は、恐らく意識はなかったと思いますよ。」

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本当に何もしてやれなかった。
逆に教えられることばかりだった。

でも、愛しているがゆえに盲目になることもあるのです。

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*****
今はただ冥福を祈ろう。

そしていつの日にか・・

また出ておいで。もしも私を許してくれるなら。
できれば、そう、
もうあくせく働くこともなく、日がな一日縁側で日向ぼっこができるようになった頃。
幼い子供の頃のようにお前と、長い長い時間をともに過ごそう。

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安らかにおやすみ・・・。
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by uneme_tayuu | 2007-02-04 22:15 | 愛猫 | Comments(2)

悲しき宣告

チョコちゃんはチャコちゃんの生まれ変わり♪
チョコちゃんはチャコちゃんの生まれ変わり♪♪
チョコちゃんはチャコちゃんの生まれ変わり♪♪♪

ずっとそう信じ、
愛猫に昔愛した猫の面影を探し続けていた私。

その悲しい過ちに気がついたのは、忘れもしないあの日、あの時、あの瞬間。
そう、愛猫が不治の病にかかっている事実を知ったとき。
愚かだった・・・。
二年以上もともに暮らしながら
こんなに可愛いこの猫を、どうして私はちゃんと見てこなかったのだろうか?

ゴメンね、チョコちゃん!
ゴメンね、チョコちゃん!!
ゴメンね、チョコちゃん!!!

失意のどん底で私は愛猫に謝り続けた。
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by uneme_tayuu | 2007-01-28 16:52 | 愛猫 | Comments(0)

生まれ変わり

「だれかネコ飼ってくれる人、おらん?」
ある朝教室で、サカタくんがみんなにそう話しかけていた。

ネコ!

その言葉の持つやわらかな響きに反応したのは、私だけではなかったはずだ。
けれど、その一瞬の、ほんの僅かに微笑んだかもしれない私を、彼は素早くみつけて
こう言った。
「あ、猫もらってくれるん!?」

「あかんよ、ウチもう猫居るもん!」
「なんでー、居るんやったらもう一匹飼ってもええやん!」
「あかんよー、他の猫連れてったら怒るやん!」
「なんでぇ!!」
そんな会話だった。
それで終わりのはずだった。
それなのに・・。
道草をして帰ったわけでもないのに。
朝以外で一度も猫のことに触れなかったくせに。
それまで一度たりとも私の家に来たことなんかなかったくせに。

サカタくんはその日、私よりも早く、自転車の荷台に子猫を入れた段ボール箱を積んで
私の家で私の帰りを待っていた。
そうして段ボール箱から取り出した子猫を、私の腕にひょいと抱きかかえさせ
何食わぬ顔をして、さっさと帰って行ったのだ!
その捨子の子猫を抱きかかえた私を、飼い猫のチャコが黙って見つめていた。

その夜だったのだ。
私の目の前から、チャコが忽然と姿を消してしまったのは!!

何故だかわからなかった。
いつだって分かり合えていたじゃない!?
置いていかれた猫は見向きもせずに、夢中で探し回った。
幾日も幾日も待ち続けた。
けれど、その日以来、チャコが私の元に戻ることはなかった。

小学校に上がる前、近所の八百屋さんからもらった猫だった。
当時人気のテレビ番組「チャコねえちゃん」が好きだった私は
もらった猫を「チャコ」と名づけ、その日からずっと一緒の時間を過ごしてきた。
庭で遊ぶとき、縁側で本を読むとき、いつも隣にチャコがいた。
・・・
母が夜、見回りに来る。
チャコが私の布団から見つかると必ずひっ捕まえて外に放り出した。
「夜寝ることだけは許しません!」
だけど平気だった。出されても出されても、どこをどう登ってくるのか、二階にある私の部屋の、二つある窓の、高い方の窓の外側に、チャコはしばらくすると戻っていた。
背伸びをして高窓を開け、ふたたび抱き入れる。
そうしたことを繰り返していた幼い日の夜。
それだけで満足だったのに、
それだけで幸せだったのに、
その日、私は、そんなささやかな幸せに見放されたのだ。


昭和40年代初頭の新築の家のステイタスは、障子建具や衝立で仕切られた大部屋仕様の家から、壁を間仕切りで区切った「個室のある家」だったろうか。
小学校入学からほどなく新しい家が建ち、同級生の誰一人まだ持っていないような子供部屋を与えられた私は、その日から夜一人になった。
大きなベッドに一人の小さな私。
淋しくなかったのは昼間と同じように愛猫がそばにいてくれたからだ。

***
あれから何十年という歳月を隔てた今
あの頃と同じように毎夜横で眠る愛猫に
ときどき私は聞いてみる。

「ねぇ、なんであの時、何も言わずに出て行ってしまったの?」

すると愛猫は、丸い目をさらに丸くして私を見つめ、瞳の奥でこう言うのだ。
「何でそんなこと聞くの?また出逢ったっていうことだけで十分じゃない!?公園の暗い駐車場で、あんたはあたしが昔チャコという猫だったことに気づき、あたしもあんたがあのときの女の子だとわかったから、あんたはあたしを捕まえようとしたし、あたしもあんたに捕まったの!それ以外になにが必要だって言うの!?」

そうなのだ。
過去のことはもうどうだっていいのだ。
肝心なことは今こうしてまた一緒の時間を過ごせているということ。
すっかり大人になった私にもチョコ(チャコ)は変わらず優しかった。
私は、ささやかな幸せを、あの日以来、取り戻していた。

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               (幼き日、わかめちゃんカットの采女太夫)
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by uneme_tayuu | 2007-01-21 18:56 | 愛猫 | Comments(2)

哀傷

あくる年を待たずしてみまかりける愛猫を悲しみて
晦日夜詠める

  悲しさの いとどまされる 野辺送り
           けふを限りの 今年なりせば 


寝て起くる朝詠める

  別れにし 猫は居べくも あらなくに
            いかでことしの 春ぞあけぬる 
                                      ・・・・・ 采女太夫
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by uneme_tayuu | 2007-01-08 10:46 | 愛猫 | Comments(2)

記念日

本日写真撮影会。

愛猫の最近お気に入りの場所といえば・・・ここ。
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どうやら、デジカメの揺れる紐が気になるようで
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散々動きまわって
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やっと射止めた獲物を見る目は、こんなに鋭くもある!
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***
2年前の今夜、闇の中にうごめくその気配に運命を感じ、
連れて戻ることを決意した。
餌付けの間には何匹もの猫が公園や道端に姿を現したが
心が動いたのはこの猫だけだった。
日が変わりかける直前に捕まえた猫。
それでもいざとなると、この子の運命を変える恐ろしさに躊躇した私の
背中を押してくれた人に感謝する日でもある。
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by uneme_tayuu | 2006-07-12 09:25 | 愛猫 | Comments(2)

愛猫紹介

我が家の猫である。
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白い襟巻きとシャドーグレーのお腹が特徴だ。
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甘えたいときは手をすりすりと仰向けになって、つぶらな瞳をいっそう大きくする。
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それ以外は、だら~と毛布に包まって
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私が部屋を出て行こうとする時には、怒りの混じった冷たい視線を投げかける。
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拾い猫を愛猫として飼いだしてから7月でまる2年。
痩せてガリガリで、声も出ない、哀愁をそそる猫だったが
いまはふっくらつやつやと、腰つきもやわらかく
理想どおりの、わがままで、気まぐれで、美しく、無邪気で、甘えん坊で、贅沢な
深窓の令嬢に育ってくれた。
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by uneme_tayuu | 2006-05-27 08:40 | 愛猫 | Comments(4)

容易いこと

10代の頃、記録写真という言葉を知らなかった。
その頃、想い出は、頭の中の記憶だけで十分だと思っていた。

比較的自由だった当時、いろいろな処を旅したように思う。
けれど、今その記憶をたどる糸口を私は自分の記憶以外には持たない。
そう、つまり旅の記録や写真はほとんどと言ってよいくらいに何もないのだ。

どこへ行くにもカメラを手にした日本人、海外のショップでブランド品を買いあさる日本人
そんなイメージが嫌いだったから
私はお土産も買わなかったし、カメラも持たなかった。
そんな私をいぶかしがる現地人が写真を撮って送ってくれたりしたこともあった。彼らは一様に、「なぜ日本人なのにカメラを持たない?」「本当に日本人か?」と聞く。そして、「ここを撮るとよい」「この場所を日本人はみんな写真に残していく」と親切に教えてくれる。
彼らにしてみればその国のお国自慢でもあったろうその観光スポット、だが、それだけならよいのだが、彼らは風景だけでなく、私の容姿までも一緒に写真におさめようとした。
残念なことに、当時、写真に写る自分の姿・形はどれもあまり好きではなかった。
だからせっかく送ってくれた写真も、無造作に放置してしまったし、その後の手紙のやり取りさえどうかすると忘れてしまった。

「N・Yの危険地域は上から見るとよくわかるよ」そう教えてもらいながら登ったのはエンパイア・ステイトビルの屋上だったろうか?それとも倒壊されてしまった貿易センタービル?
近代美術館の前の階段に群がる人たちの映像は、自分の記憶だろうか?それともどこかの雑誌で見た写真の記憶?
ネス湖だって、確かに足を運んだはずなのに、思い出そうとすると、ネッシーの描かれた漫画チックな絵が記憶の再現の邪魔をする。
一事が万事こんな風だ。曖昧な記憶と無関係な記憶はない交ぜになって真相を妨げるし、それ以上に消えてしまった記憶は計り知れない。
だが、私が嘆いているのは、そんな記憶の曖昧さや失くしてしまったものなどでは、
もちろんない。

その頃は、脳の一番優れた能力が「忘れること」だということも、「記憶の曖昧さ」が人間関係を支えていることも、なにも知らなかったが、
新たに生まれる好奇心で心はいつも満たされていたし、何より経験が、人生の肥やしになると信じていた。

そんな私が、いま、ほんの少しだけ後悔しているのは、被写体に向かう姿勢。
写真を撮るという習慣が自然には身についていないこと。
ようやっと、仕事上でも、写真を撮る機会が増えたので、こんなことを言うと意外に思う人が居るかもしれない。しかし、事実、実際にはまだまだ、肝心なときにカメラを忘れる。
運よく持っていても人に出遅れる。シャッターチャンスを逃す。被写体をうまく捉えられない。ぶれる。アングルが気に入らない。たくさん撮ったつもりでも似たような写真が重なって実際には役立たない。・・・言い出せばきりがないくらいに嘆かわしいことだらけだ。
他人の写した写真を見る機会に及んでは更にがっかりさせられる。そして、必要とあらば、完敗ののちにその写真を譲り受けることになる。

***
以上、長々と語ったのは、つまりはこのブログにいまだ写真が一枚も掲載されない、苦しい言い訳。
文章だけもそんなに悪くないわよ。そう思うこともある。だけど、私は、竈やそこに集う人、古民家の自然だけでなく、愛猫の写真を記録としてここに残したいと思っているし、それを待っていてくれる人もきっとあると思う。
だから、いつも次こそは!と思うのだが、いま!という瞬間に、残念ながら、今のところカメラはない。

果たしていつも思うのである。
愛猫と戯れる私を写真におさめてくれるパートナーを探すことと、写真のセンスを磨くこと。
いったいどちらが容易いことなのだろう?かと。
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by uneme_tayuu | 2006-03-25 08:59 | 愛猫 | Comments(0)