穀雨号 -今日は旧暦 3月21日です-

今日は穀雨、
春雨が穀物の生長を助ける
恵みの雨として働く頃ですね。
ここのところ、田舎道を走っていると
田んぼの準備が進んでいくのを目にしていました。
農に携わるみなさま、お疲れさまです。

そして、そんな農作業を横目に見ながら
私のほうは、山歩きのかたわら、山菜採りを。
フキノトウにはじまり、カンゾウ、ワラビと来て、
今は期間の長いヨモギやタラ、ユキノシタ。
使うぶん、おすそわけを持っていくぶんを、
ちょこちょこっと、少しずつ。
気前のよいお山の、お世話になっています。

今回、タラの芽を求めて山を巡る中で、
ひとつ、ショックを受けたことがありました。
「ここにタラの木があったはず」と向かった先で、
すべての芽をとられて丸坊主になった木が
いくつもいくつもあったのです。

タイミングがありますから、誰かに先を越されて
摘まれちゃうことは、仕方のないこと。
私だって、そこはおあいこです。

でも、すべての芽を摘まれてしまうと、
タラの木は、まるごと枯れてしまいます。
枯れるということは、来年は採れないということ。
年々、あたらしい木が生えるといっても、
そんなサイクルを繰り返していけば、
いつか山から絶えてしまうということ。

採った人は、たぶん、故意ではなく知らずに
「わあ、たくさんある」と純粋に喜んで
採っていったのでしょう。

日々、山を見守っている地元の人に聞けば、
今までにもそうやって、
植物たちの回復力を上回る採りかたをされ、
多くの山菜、野草の群落が消えてしまったそうです。
「自分たちには当たり前の『加減』だけど、
集落の外の人や、ふだん山に入らない人は
いつもの様子を見てないから、
その案配がわからないんだろうなあ」と
ため息をついていました。

それを聞いて、決心しました。

みんな知ってるかもしれないと思うことでも、
言わなくてもわかっていると思われることでも、
不幸にも、それを知る機会が
すっぽり抜け落ちてしまっている人は、存在する。

だから、大事なことは、念のため、くどくどと、
隙あらば、いろんなところで、繰り返して言おう! と。


……と、いうことで、
ご存じのかたには「知ってるよそんなこと」ですが、
どうか、お付き合いください。
そしてよろしければ、同じく
「念のため、くどくど」言う人になっていただいて、
今後の「山菜のある豊かな暮らし」のために、
ともに理解の裾野を広げていただければ幸いです。

「タラの芽は、全部とると、木が枯れる。
必ずひと枝にひとつ、脇芽を残すこと!」

・・・

ふと、似たお話として思い出したので、
星野道夫さんのエッセイ『長い旅の途上』の中で
聞き書きされている
アラスカ・アサバスカン・インディアンのかたの
エピソードをご紹介して、終わりにします。

このお話の中の「運が悪くなる」は、漠然としているようで、
明確な因果のような気がしています。


「子どもの頃、おばあさんとブルーベリーを摘みに行った時のこと。私はひ
とつひとつの実を摘むのに疲れてしまい、いっぱい実がついている枝をそ
のまま折って、おばあさんに持っていったの。その時、こんなことを言われ
たのを覚えている。“ブルーベリーの実はもうそこにはできないよ。そしてお
前の運も悪くなる”」

  (emix)
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by uneme_tayuu | 2014-04-20 13:23 | 暮らし暦 | Comments(0)
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