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立春号 -今日は旧暦 1月5日です-

立春

昨日は節分、そして今日は立春。
冬至と春分の中間で「寒の明け」、
寒さのピークを越えてだんだんと
暖かくなっていく節目の日です。

この冬は、近所の山を
地元の人と一緒に歩く機会に恵まれ、
その中で古くからの「山とともに生きる暮らし」の
あれこれを教えてもらいました。

畑、田、山仕事。
これらは、自然の「常の巡り」、また突然の気まぐれに
人間のほうが足並みを合わせるかたちで、
天気を読み、季節を読み、動きを決めていきます。
そしてその中で、全く自然に旧暦、二十四節気が
目印とされるシーンに多く遭遇しました。

特に、「寒の内」にする仕事や、
寒を境として自然の中で起きる動きが
多かったのが印象的です。

知らなかったころは、冬(特に、寒)は
人も植物も動物もただ、春に備えて
雌伏し、じっと蓄える時期だと思っていました。

実際、蓄える時期ではあるのですが、
それは山に入って実際に目にしたり経験してみれば
「雌伏」などという静的なものでは全くなく、
みずみずしい生命感、躍動感に満ちたもの。
木は枝先を色づかせてたくさんの芽を結び、
畑の菜は青々とした葉をぴんと伸ばして日々うまみを濃くし、
発情を迎えた獣たちは山のそこら中を走り回り。


日ごろ、自然と付き合う仕事をしている人には
しごく当たり前のことであるとは思いますが、
つい縁遠くなってしまっている私は
目の当たりにしたそのあざやかさに驚きつつ、
「当たり前の自然の営みで、見逃してきたことの多さ」に
愕然としました。こういうの、大人になって、もう何度目でしょうか。


農・林・漁業をはじめとする第一次産業、
自然素材とともに動くさまざまな手仕事など
直接、自然と付き合う仕事が縮小していく現状の中、
「人間同士の間で都合がよい」新暦が
今の時代で主流になるのは、
良し悪しではなくただ、自然な流れです。

しかし、旧暦が「古い、時代遅れのもの」というのではなく、
「自然と付き合う暮らしのための伝統の知恵」のひとつであることを
あらためて現場で認識した、この冬でした。

最後ですが、話は一瞬飛びます。
読書の中で翻訳ものに手が伸びなかった私に、本読み友達が
「欧米文学を読む前に、聖書を読んでおいたほうがいい。
キリスト教圏の書き手と作品世界の背景には、必ずキリスト教があるから」
と教えてくれたことがあります。
聖書はさすがに読了までにずいぶん時間がかかりましたが、
実際、それ以降、あっちの文学もとてもおもしろく読めるようになりました。

旧暦だけではないですが、
日本の伝統文化と旧暦も、そういう関係だなと感じます。

遠回りのようですが、
「やってみて知る」「背景ごと知る」という
スローで時間的コストの必要な手段でしか、
ほんとうのところは、理解できないのかもしれません。
日々勉強だ、とあらためて思いつつ、このへんで。

(emix)
by uneme_tayuu | 2014-02-04 12:28 | 暮らし暦 | Comments(0)
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