立秋号 -今日は旧暦6月20日です-

皆さん、五輪選手の活躍に目を奪われているうちに秋になってしまいました。
今日から「立秋」です。

ジリジリ照りつける太陽は昨日までと何ら変わらない、とも思われますが、
自然界の秋への準備は見えないところで着実に進んでいるのでしょう。
暑さを倍増させていた蝉の鳴き声が、急に、昨日までと違って切なさを醸し
ているように聞こえるのですから、言葉一つも、決して侮れるものではあり
ません。

ところで、オリンピックと並んでもう一つ日本を賑わわせていること、と言え
ば脱原発国会包囲デモでしょうか。竈の会の仲間たちも数人デモに参加し
たと聞きました。
60年、70年の安保闘争を知っている年配者から10代の若者まで、
ネットで簡単に情報が手に入るので誰でも参加できることも大きく広がった
理由の一つでしょうが、私自身はそれがいいことなのかどうかは判断でき
ません。一部にはただ物見遊山気分で参加してお喋りをしながら時間が来
れば帰っていく人たちも多いとか!?
声を上げていくことも、仲間と繋がることも大切でしょうけれど、例えば今、
自分がやらなければならない身の回りのことを後回ししてまで参加すること
に意味はあるのでしょうか。遠いところへお金と時間をかけて。
私には、大きな流れに乗ることよりも、目の前の仕事に大きな穴があかな
いようにコツコツ片付けていくことの方が大切です。


多くの人が、問題が起きてから対応を協議する東電や政府の対応のまずさ
に不満を抱いています。「改革」が必要だと言ってもそうした声は事態が最
悪にならないと動かない、と。
でも考えてみて下さい。では、自分はそうではないのかと?

実は「竈の家」も、会の活動を始めた当初から傷んだ軒に目をやっては「こ
のままでは危険だよね」「早く何とかしないとヤバイよね」と言い続け、言わ
れ続け丸七年。結局、瓦が落ちて軒から空が見上げられるようになって、
大雨が降るごとに半泣きになりながら濡れて使えなくなった物を処分する、
そんな大惨事になって、ようやく手をつけるという大失態をやらかして
しまいました。
臭い物に蓋をするように、本当は放っておいたら大変なことになると知って
いるのに、見て見ぬふりをする。気づかぬふりをする。封印する。自分が批
判しようとしているモノたちと同じ構図がこんな身近にもある。

改修は思ったより大変でした。湿気が引き寄せたシロアリで、ここまでは大
丈夫だろうと思っていた梁や柱も叩くと簡単に砕けちり、何処まで修理すれ
ば良いものやら?工期も費用も・・どこまでかかるんだろう?途方に暮れる
ほどに事態は進んでいたのです。
非常事態に至ってようやく改修(改革)の扉が開くというのでは遅すぎます
よね。でも皆さんもどこかしら何かしら似たようなことはしているのではない
でしょうか?
人を批判するよりもまず自分に振り返って考える。そして一つ一つ手遅れ
にならないように、やるべきことはきちんとする、他人任せにしない。
ひとりひとりが身の回りのことをきちんとこなしていけば、そういう市民が運
営する一国の体質も変化していくのではないでしょうか?それとも、考える
だけで表立った行動を起こさないのは、もう甘いことなのでしょうか?


  By かまど管理人
[PR]
by uneme_tayuu | 2012-08-07 20:24 | 暮らし暦 | Comments(0)
<< 第22回サロンde竈(さろんで... 第21回サロンde竈(さろんで... >>